富田直秀(Naohide TOMITA)     e-mail: tomita.naohide.5c kyoto-u.ac.jp  ←を半角に変えてください。


Dr.Tomita

プロフィール

富田直秀(Naohide TOMITA)材料工学出身。もと整形外科医。現在は医療工学、デザイン、再生医療、バイオメカニクス、バイオトライボロジーなどの研究をしています。

研究とは切り離しておりますが、学生の頃から少しずつ創りためている文章、絵、写真なども公開しています。興味のある方は右のMENUからお入りください。

E-Mail: tomita.naohide.5c@kyoto-u.ac.jp
(@を半角に変えて下さい。たくさんのメールをいただいており、お返事できない場合が多いと思います。申し訳ありません。)

2020年07月01日

遠隔,,底の浅い満足感? Is this all right? The distance classes and meetings

遠隔,,底の浅い満足感?
               富田(町井)直秀

遠隔授業やミーティングには新しい効果もたくさん見つかる.
人前で緊張を感じていた学生の表情はむしろ明るく,
ああこの人は,ああ私は,こんな表情をしていたのだ,などと改めて発見する.
授業を録画すれば,わからないところを何度も確かめることができる.
やる気のある時だけ,録画を見るのもいいだろう.
教師は,これまでの授業の不正確は表現を発見する.

ただ,,
このどこか間接的な満足感は何だろう,,
ことばで理解し合って,課題を処理し合うと得られてしまう,底の浅い満足感.
これでいいのだろうか,,



Is this all right? The distance classes and meetings
Naohide TOMITA (Machii)

New effects can be found in distance classes and meetings.
The expressions of students who were nervous in public were rather bright.
I can find that, oh this person, oh I myself, had such a look in the meeting.
You can be sure your understanding by checking the recording again.
It's a good idea to watch the recording only when you are motivated.
The teacher can also discover incorrect expressions.

However, the indirect shallow satisfaction that can be obtained by understanding words and processing tasks,,, is this all right?


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2020年06月19日

こころの恥部?

大量のことばの交換に疲弊して,以下のような記事と心の恥部のような写真をSNS に投稿したら,高校の同級生たちが応援のメッセージや,高校時代のマラソンの写真を送ってくれた,,,
「学生の課題や質問を見て,調べて,考えて,シナリオを書いて,授業ビデオを創り,また課題・質問を見る,,,永遠に続くことばの交換は想像を絶するストレスだ.頭を空っぽにして「色即是空」を描き続ける,,この狂った時間がないとやっていけない,,no art no life,私の outsider art だ.」

色即是空 10種 Naohide TOMITA.jpg
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2020年05月27日

Tathagata

Tathagata


Tathagata (Naohide).jpg
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2020年05月26日

「自活」できない時代,非公開

「自活」できない時代

は,非公開にしました.本当にギリギリのところで自活している学生たちに申し訳ない.
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2020年05月18日

ペケ

ペケ
富田(町井) 直秀

 授業の動画化と学生からの回答・質問へのレスポンスを続けていると,忘れていたいろいろなことを思い出す.
 極端に記憶力の弱かった私は,社会科が大の苦手だった.中学生のころに,ある社会科の先生が,「富田の答えは間違っていたけれども,よく考えていたからちょっと点数をおまけした」と言ってくれた,,,,私が,考える仕事をしたい,と望んだのは,あの時だったかもしれない.あの先生は,「間違っている解答」を丁寧に読んでくれたのだ.
 いま,オンラインで,そうして文字で学生とやり取りをしていると,膨大な文や式を見なければならない痛さで,つい斜め読みになってしまう.それぞれが一所懸命考えているのに,解答が間違っていると,頭の中でペケをつけて,そこから先を読み飛ばしてしまう,,,


posted by トミタ ナオヒデ at 12:46| Comment(1) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月06日

独りよがり,の生きる道

      独りよがり,の生きる道
               富田(町井)直秀

 あるカナダの大学院に社会人入学している卒業生は,そこでの授業が日本のそれとは比べものにならないのだ,という.毎回の授業の前に多くの予習テーマと課題が出されていて,比較的少人数の受講者にアルバイトの大学院生がついて理解の補助もしてくれる.教育内容は,初学者にもわかりやすいように段階的に体系化されていて,しかも,実際的な応用がその課題に織り込まれていて,様々な経験を経た社会人学生の数も多いのだという.
 私はいま,遠隔授業や動画化の作業に追われていて,その作業の中で自身の授業を客観的に見せつけられる経験をしている.そうして,私の授業がいかに独りよがりであったのかを思い知らされている.やたらに無駄な間があって,活舌が悪く,何を言っているのかもわかりにくい.それならば,と台本を作って動画にしてみると,今までしゃべっていた内容の中に,あやふやな知識が相当に含まれていたことにも驚かされる.既存の知識の中で問題を解けるようになるだけの授業ではダメだ,などと粋がって,私なりに考える授業を工夫してきたつもりだった.けれども,遠隔授業や動画化してみると,その工夫さえも,どこか独りよがりだ.
 これじゃあまるで予備校の授業じゃねえかー,とゴジラのように天に向かって火を噴きあげながら,,しかし,なんで予備校じゃいけないの?まずやることやってから吠えたら?,と耳元でささやく声にも耳を傾けている.独りよがりを許容して創造性を育ててきたかつての日本ではもはやない.とにかく,わかりやすく説明をしなければ,現代の独りよがりは生きていけない.
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2020年05月01日

新入生たちの取材を

新入生たちはどうしているだろう,,テレビ局の方々,,新入生たちの取材を願いしまーす.
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2020年04月25日

コピーできる「わかる」と,コピーできない「わかる」

これをきちんと理解してくれる人が一人でもいたら,死んでもいい,とさえ思うのだけれども,,,2020年の3月に開催が予定されていました,土井シンポジウム「日本哲学と科学」で発表予定だった内容を,授業と同じように,オオさんショウさんのツッコミを入れてビデオ化してみました.以下で限定公開していまーす.

https://youtu.be/TXw9RgcZv7o

(参照:「もっと! 京大変人講座 (単行本),最後の章,,」)
(参照:(技術者倫理人形劇) https://youtu.be/KJjmb90E2mA


posted by トミタ ナオヒデ at 11:16| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月22日

Disposable face and body shield using plastic bags

みかけは悪いけれども,装着のまま顕微鏡を見れるし,装着感も軽い,,
Disposable face and body shield using plastic bags (Naohide TOMITA).jpg
posted by トミタ ナオヒデ at 14:41| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

face shield using commercially available caps and plastic bags

Infection protection goods using commercially available caps and plastic bags.jpg


Can it be used in areas where medical supplies are scarce?




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2020年04月21日

感染防御 an example of infection protection goods using a commercially available plastic bag and umbrella hat.

市販のポリ袋と傘帽子(すげ笠,角笠, 竹笠 ,ベトナム 笠,,)を使った感染防御グッズの例です。医療物資に乏しい地域で使えないだろうか.
This is an example of infection protection goods using a commercially available plastic bag and umbrella hat. Can it be used in areas where medical supplies are scarce?
感染防御 笠帽子.JPGinfection protection goods using umbrella hat.jpg
posted by トミタ ナオヒデ at 19:40| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月06日

「もっと! 京大変人講座 」発刊しました

「もっと! 京大変人講座 」発刊しました,,(本文抜粋)「バカヤロウエネルギーの変換」

 小児科病棟ボランティアでの経験です。長期に入院している子どもたちに、若い学生ボランティアが初めて会うと、ときとして髪の毛を引っ張られたり、服に落書きをされたり、ひどい悪口を言われたり、およそ彼らの日常からは考えられない「悪さ」をされることがありました。またクリスマスなどの病棟行事で、医師たちがふだんは見せない「おかしな」「ふざけた」「悪い」姿を見せると、子どもたちはとても喜びました。彼らは必死で「悪さ」を欲していたのではないかな、と思います。医療スタッフや親たちの「わけのわかった理屈」の中で「よい子」を演じ続けなければならない子どもたちの中では、わけのわからないエネルギーが限界近くまで抑えられていたのだと思います。現代の世の中も、また「悪さ」を求めているのだ、と私は感じます。その「悪さ」は理屈や力で制御される対象ではないのだと思います。
posted by トミタ ナオヒデ at 07:58| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月01日

できない絶望,できてしまう絶望

できない絶望,できてしまう絶望
                      富田(町井) 直秀

 昨日,高校時代の友人とウェッブ飲み会をしてみた.その楽しさや注意点(飲みすぎる,恥ずかしい姿をウェブ上に晒す,,などなど)は後ほどご紹介するとして,そこで話題になった,様々な「できる」(とんでもない芸術やスポーツや勉学の力を持っている)人たちの噂話には,いろいろと考えさせられた.

 私はとにかく「できない」高校生だった.「できる」ことの裏側には必ず記憶力の裏支えがあるのだ,と私は思う.しっかりとした感覚記憶に支えられた芸術表現やスポーツ,膨大な事物を記憶のステージに挙げて考える判断力.私の記憶力は,子供のころから痴呆老人のそれであって,とても狭いステージの上に「いま」の一瞬だけ載るほんの小さな事物に,時として全霊で集中することにしか,生きている,という感覚を保持する術はなかった.この「いま」にしがみつくことと,ふがいなさに脱力することの繰り返しの,いわば「できない」絶望を,私はひたすらに隠して生きてきた.
 本当に「できる」ひとたちが「できてしまう」という絶望を持っていることを知ったのは,まだ最近のことだ.そうして,私の目にはそういった絶望を持つ人こそがホンモノなのだと映っていた.彼らの世界観の奥行きの広さは,いくら背伸びしてみても垣間見ることさえできないのだが,この「できてしまう」絶望は,豊かな記憶力の上に形成された広大な「できる」の城にあるのではなく,記憶力の下の「いま」にうずくまって生と死との狭間を徘徊する,私がいつもうずくまっていたあの場所にある.
 60歳を越えて,こうして酔いどれて,そういった雲上の人たちのことを噂するに,どの人も,どんな人生にも,ニセモノということはなかったのだと思い至る.「できない」絶望も「できてしまう」絶望も.その壮絶さは,この瞬時の酒の肴のようであって,「どうしてる?」「いやあ大変だよ」という世間話の内側にへばりついている.
posted by トミタ ナオヒデ at 14:18| Comment(1) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月30日

不登校の原因

        不登校の原因
                            富田(町井) 直秀

 毎年,新入生へのメンタルヘルスガイダンスをしてきたが,今年はコロナウィルスの影響で急遽配信動画を創った,,創っていてはっきり自覚したのは,,本当はこれ,自分が不登校の原因であるとは夢にも思っていない私自身や教員に向かってしゃべっていたんだ,,,
 退職最後の年に,天からお叱りを受けている感じ,,まだまだこれから授業の動画配信が待っている,,

http://youtu.be/Yht4hXakSkQ


posted by トミタ ナオヒデ at 18:58| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月25日

コピーできない自分だけの「いま」 (山極壽一総長の祝辞)

コピーできない自分だけの「いま」
                            富田(町井) 直秀

昨日は卒業式だった.山極壽一総長の学部卒業生向けの祝辞
https://www.youtube.com/watch?v=dHBvYKhd34Q
と,修士・博士の学位授与者向けの祝辞の対比が,おもしろい.
https://www.youtube.com/watch?v=0pQSMBGajD8

 どちらも,情報化されつつある科学・技術発展に「人間性」の考察が必要であることを説いているのだが,前者はやや人文科学視点から,後者はやや科学・技術よりの視点から述べられていることによって,文脈の印象がまったく異なる.
 私たちは学生に対して,歴史性と厳密性を提示しなければならない.過去の事実や考え方の歴史の上に立って,飛躍しない説明をしなければ,学問として受け入れられない.学部卒業生向けの祝辞において,山極は歴史性と厳密性に注意しながら,わかりやすく,学問の新たな方向性を語っている.しかし,同じ内容が科学・技術の視点から述べられると,新たな科学技術への賛美と人間性への疑問との間に大きな飛躍がどうして生じてしまう.
 彼の言う「情報化」という概念の実感的な明示が必要なのではないだろうか?手前味噌なのだが,私は人間性やイキモノを論じる時に使われる,唯一性,一回性,そうして情報化などの概念を,「コピー可能だろうか?」という言葉で,小中学生や老人,科学・技術分野,哲学分野,など様々な分野の人に問いかけている(参考「もっと,京大変人講座」p253−,「愛すべき学者バカあ,ただのバカに」).コピー可能性の数理的な表現はまだ完成していないのだが,子供から老人まで,多くの人が共感を共有しながら,新しい科学技術に対して,われわれがいったい何を求めているのかを考えることができるのではないだろうか,,,
皆さん一度考えてみていただきたい.


いま目の前にあるその技術は,コピーできない自分だけの「いま」を見失わせていないだろうか?


posted by トミタ ナオヒデ at 08:14| Comment(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月22日

カザルス,いま,生きている

カザルス,いま,生きている
                            富田(町井) 直秀

 コロナウィルス防ぎょで大学に来れない学生のために,授業の動画化を急いでいる.オオさんショウさんという人形にツッコミを入れてもらう形式に代えていく作業は,辛いけれども新しい発見がたくさんある.退職の最後の年度になって,自身の授業が一方的な独り善がりであったことにやっと気がついた,,,,

2020年3月22日 カザルス.jpg

 作業の合間に,二十年ほど埃をかぶったままだったオーディオの掃除をした.もしや,,と思って配線をつなぎなおしてみると,,レコードがまだ聞けるのだ!!カザルス(チェロ奏者)を聞いていると,,涙が出て止まらなくなってしまった.このすーすーとしたスリガラスの向こう側に,確かに,ほんとうに,このおっさんは生きている,,,こんな黒い,がちがちの,コピーされた丸い物体を世界にばらまいて,いまも,世界の片すみの小さな独り善がりに火をつけるのだ,このおっさんは.

posted by トミタ ナオヒデ at 11:53| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月19日

アーティストは付き合いにくい?

アーティストは付き合いにくい?
                            富田(町井) 直秀

  4月にリニューアル開館します京都市京セラ美術館で行われる,「アート×サイエンス LABOからGIGへ」のパンフレットの中で,「いま国の科学・技術政策はミッション・オリエンテッド(理念重視)で動いていますよね。アーティストの仕事がその流れに取り込まれて結果的にミッションを満たすのは構わないと思うんですけれども、ミッションだと言われてアーティストが動き出すとしたら、それはもうアーティストではないと思うんです。」と発言している,その内容をもう少しだけ説明しておきます.
  エンジニアから見ると,時としてアーティストはとても付き合いにくい.それはたとえば,プロジェクトの途中でゴネだすようなことがあるからです.でも実は,アーティストがゴネたときこそ,プロジェクトの「そもそも」を問いなおしてみるよいチャンスなのではないかと思うわけです.仕事が「自分事」であるかどうかに悩み苦しむアーティストの行動は,一見,わがままにみえます.「そもそもあんたはどうして」とか,「わたしは,がまんがならない」とか言われて,エンジニア側は「で,でも,いまさらそんなこと言われても,,,」と,おおいに戸惑うのですが,それは実は,ミッション達成の「評価」が目標になってしまっている現代社会への真摯な問いかけなのだと思います.科学においても,本当に新しいものはなかなか評価されない.それは評価軸も新しいからですが,そもそも,評価されることだけを目的とした仕事は,科学・技術であれ,アートであれホンモノではありえない.
  それぞれのアーティストの世界観を理解しようとしても,それはとても難しいことだと思います.なかなか納得してくれないアーティストを無視せず,「しょうがねえなあ」とか言ってため息をつきながら,「オレだってこんなこと,したくてやってんじゃねえぞ」とグレてみる.もやもやとした中に身を置いて,何をすべきか,の前に,何をしたいのか,を感じてみると,はっと何かが頭に浮かぶ,,,,日本のものつくりは,もともと,こんなふうにして技を磨いてきたんだよなあ.と思います.
いつから,効率や評価が科学・技術の目的になってしまったのだろう.

posted by トミタ ナオヒデ at 08:01| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月17日

治療法のない感染症に立ち向かう武器 The weapon against infectious disease without cure

治療法のない感染症に立ち向かう武器は免疫力
免疫力を高め合う方法は笑顔.(^-^)

The weapon against infectious disease without cure is immunity.
A way to boost immunity is to smile. (^-^)
posted by トミタ ナオヒデ at 13:54| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月16日

2020年01月12日

故・小池一範先生の絵

故・小池一範先生の絵
富田(町井) 直秀

 昨年の暮れに,,いろいろとあった日なのだが,,偶然立ち寄った画廊で見た小さな作品に心惹かれた.何度も何度もぬっては削った跡,色,その奥行き,,,題名は「公園」,故・小池一範先生の絵だった.
 いいかげんに描いてはいかんよ.とやさしく諭している香りのようなものがここにあるように感じる.

小池一範 「公園」 2002 縮小@.JPG
posted by トミタ ナオヒデ at 20:01| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月10日

愛してるよ I love you

愛してるよ

                      富田(町井)直秀

 三重戯曲アカデミアの公開リーディングが終わった.私は悪事や浮気にまみれた学長役を演じたのだが.その中で「愛してるよ」というセリフを何度も言わなければならなかった.当初はこの言葉を言うことのできる心の状況を探し出せずに七転八倒した.この話題だけでも一冊の本が書けるのではないか,と思えるほどに自分と周囲の様々な変化を経験したのだが,,,要するに,,,一度言えるようになると,何度でも言えてしまう,,,そこには快感さえある,,,

 いったん悪事を働くと,人はなかなか更生できないことに似ているのかもしれないな,,

posted by トミタ ナオヒデ at 10:35| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月29日

愛すべき学者バカを、ただのバカに改造

「愛すべき学者バカを、ただのバカに改造」
富田(町井)直秀

  先ほどの投稿文だけではなにを言っているのかわからないですね,すいません.「京大変人講座2(近日発売予定)」の一文です.

「ホンモノの俳優は、公演ごとに同じセリフをしゃべっていても、それはコピーではなく、その時その時にきらきらといつも新しい現実が生まれ出ているように感じます。私たち学者は、コピーされた言葉や式を矛盾なく並べて「わかる」ようにします。わかったなにかはまたコピーできる。つまり、学者とは過去のコピーに縛られたニセモノであって、まあ、役者にしたらバカな大根役者のようなものなのだと思います。でも、ニセモノであることを知ったうえで、バカのように徹底して続けることが SUKI であり続けると、いつか古いコピーを打ち破って新しい何かを発見できる一刹那がある。それを信じてホンモノの学者は SUKI に徹している。まあ優れた役者にはかないませんが、愛すべき学者バカぐらいにはなれるだろうと思っています。その SUKI を忘れて、評価されることばかりを目的としている学者は、ただのバカですね。本当に新しいことはすぐには評価されないので,そんな人は本当に新しいことはしません。今の日本の政府は目の前にニンジンをぶら下げて学者を走らせて、愛すべき学者バカを、ただのバカに改造しているのだと思います。かく言う私も改造されつつある一人なので、この本ではちょっと逆らって、グレてみたいのです。」


posted by トミタ ナオヒデ at 20:07| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

落胆しました

  「落胆しました」
富田(町井)直秀

  先日の学会では,会長や国の役人にかみついた形になってしまった.それぞれ懸命に仕事をされている方たちなので,もう少し相手の立場も考えて発言すべきだったか.なんであんなにアグレッシブになったのだろうか,と考えると思い当たることがある.
  いま,分野間コミュニケーションの一つの方法論として「演劇」を習いに行っている.それは学問が結局のところ,ある仮定(配役)の上に成立する「演技」であるからなのだが(その趣旨は近日発行の「京大変人講座2」を参考にしていただくとして),演技の練習の一環として,物事をわかりやすくはっきりと言うことを心掛けている,,,.学会の場で私が言ったのは「落胆しました」という言葉だった.この言葉を口に出して目の前の人を傷つけるのではなく,いまの学問社会全体への落胆をジンワリとそれぞれに感じさせる「演技」が,いまの私にはまだできていないのだろう.

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2019年11月14日

山極壽一 「型」という方法論

 以前にご紹介した,京大・山極壽一総長のパリ日本文化会館での講演動画
https://ocw.kyoto-u.ac.jp/ja/international-conference/91
が公開されました.現代社会に潜在し,急速に膨らみつつある新たな暴力性を,この人ほど明確に述べている人はいないと思います(最後の「フィクションの中で生きる我々ができること」の部分).最近,卒業生たちが集まってくれて話をしたのですが,みな,クレーム対応やコスト削減にばかり奔走させられていて,自己の創造性を発揮できず,社会全体に不満と暴力性が堆積しつつあるように感じます.
  ただ,私は山極氏の総長としての行動のすべてに賛同しているわけではありません.学生寮やタテカン問題での対処が,この講演の最後に示された「型」という方法論の一つの表現なのだとしたら,それは視点が少し異なるのだと思います. 
http://www.keikikai.jp/honbu/news/news40.pdf 16,17ページ)

posted by トミタ ナオヒデ at 19:05| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月18日

お互いの存在がお互いに依っている

お互いの存在がお互いに依っている
富田(町井) 直秀

9月4日の「京都造形芸術大学の名称変更に関して」.いろいろな人と話すと,私が市大側の意見を言っているように誤解されているので,もう一言だけ.自由競争が成立するための根本条件として,「お互いの存在がお互いに依っている」という基本原理があると考えています.平たく言うと強い弱いにかかわらずお互いに尊敬し合う,ということです.今回の問題も,どちらが強い弱いの話ではなく,お互いに尊敬し合っているのか,という話だと思っています.その意味では,市大側も「京芸」という言葉を登録することによって,人形劇団「京芸」という,真摯な活動を続けている人たちへの尊敬を失っているようにも感じています.


posted by トミタ ナオヒデ at 10:42| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月13日

「ないをたのしむ」展のワークショップ動画 など

おまたせしました.「ないをたのしむ」展 ワークショップ「きく、さわる、つくる」の動画が公開されました!!
https://ocw.kyoto-u.ac.jp/ja/opencourse/291

すき・きらい・SUKI-ru の歌も聞いてくだされ(歌手:ほのちゃん)
https://www.youtube.com/watch?v=fjEy5tWyCiw

posted by トミタ ナオヒデ at 21:15| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月08日

やなやつ

やなやつ

     富田(町井) 直秀

  戯曲アカデミア(https://www.center-mie.or.jp/bunka/invite/detail/27703)というワークショップに参加している.半年をかけてチームで戯曲の小作品を完成させて,最後にそれを自分たちで演じる.戯曲は昔から何度か書いてみたことがあるのだが,演技は初めてだったので,その即興劇が面白くてたまらない.私の属するチームは,大学寮からの退去を求められた学生の物語で,時々短い即興演技をしてみてから意見を出し合って配役やプロット(物語の筋)を決めていく.私はたいてい追い出す側の「やなやつ」の演技をして,わざと周囲の嫌がるような言葉を,湯水のように湧き出させる,,その自分が,なんとも心地良いのだ.これは演技ではなく,たとえば,演技が終わって普段の自分に戻って皆の意見に対して「なるほど」「いいねえ」「おもしろいねえ」などと言っている(それはそれでまったくうそではないのだが)その私こそが演技をしている自分だと,つまり普段の自分こそが演技だったのだと,思えてくる.演劇をやっている人はだれしも感じることなのだろうか,,,私の本性は「やなやつ」にあるのかもしれないし,または,無意識に抑えられていた反動がここにあらわれているのかもしれない.とにかく面白い.


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2019年09月04日

京都造形芸術大学の名称変更に関して

京都造形芸術大学の名称変更に関して

     富田(町井)直秀

  日本には(良くも悪しくも),あいまいな状態の中でお互いを尊重し合う文化があるのだと信じています.京都造形芸術大学の名称変更にかかわる対立が,もし法廷で争われる事態となった時,成否は明白に判断されるのかもしれませんが,日本文化の損失は大きいように思います.
  たとえば,京都市芸術大学が「京都芸大」「京芸」の名前を商標登録出願した7月11日に,なぜ「京都芸術大学」を出願しなかったのか.あくまで推測ですが,この時点(7月12日に京都造形芸術大学学長が京都市立芸術大学に来校する前)で「京都芸術大学」を出願すると,それは相手がどう出るかを見極める前に明らかに相手の行動を真っ向から阻止する行動であって,それは「えげつない,または fair でない」と判断したのではないでしょうか?7月18日に出願したときには,すでに京都造形芸術大学側が「京都芸術大学」を1日前に出願した後であったわけです.ああ11日に出願しておけばよかった,と悔やむのだろうか,もっと賢く行動すべきだった,と反省しなければならないのだろうか.そのようなこと,つまり,より狡く賢くふるまうことが,芸術の教育現場に望まれるのだとしたら.そのこと自体が,日本の文化の危機であろうと思います.
  両大学が非難し合うのではなく,それぞれの良さを認め合う場で解決することを切に望みます.


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2019年08月28日

絵がとしをとる

1980年ごろに描き始めて,未だに描いている絵です.この3年ほどでぐっととしをとってしまった,,



1980年ごろに描き始めた絵 富田(町井)直秀.jpg
posted by トミタ ナオヒデ at 19:13| Comment(2) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月12日

アートと科学技術 between art and science

La Lointaine meeting

 アートと科学技術との間にある深くて暗い溝はどのようにして渡ることができるのか、、
今回は、フランスで芸術・社会活動を続けておられるMasako Sauliereさんと京大未来創成学ユニットの村瀬雅俊先生が主催された La Lointaine meeting の様子を360度動画で公開します。
 様々な分野の研究者が、言葉をはっきりと定義せず、論理の飛躍を許して英語で話し合い、共感を探ります。定義・対象化することで失われてしまうアート感覚を英語で表現し得るのか、、、ご感想はいかがでしょうか?

"understanding and way of understanding"
https://youtu.be/1eX4MkyP_Bg
https://youtu.be/rX3CoFHx-3s
https://youtu.be/CtWnz7lLk9Q

"Scientific explanations for living system"
https://youtu.be/SqIiEVl-AGQ
https://youtu.be/LxpYqcFf5bY

How can the deep and dark gutter between art and science be passed?
This is 360-degree videos of "La Lointaine meeting" designed by Masako Sauliere (La Loingtaine) and Masatoshi Murase (Kyoto University)
In this dialogue, researchers in various fields do not define words clearly, allow leaps in logic, and search for empathy. Can we express the sense of art which are lost by definition and objectification in English?, , How are your thoughts?


posted by トミタ ナオヒデ at 18:30| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月10日

山極総長の講演

  京大‐フランスの国際会議「Does-Nature-think-自然は考えるのか」
http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~future/news/2019-6-6-8.html
  最終日の山極総長(京大)の発表(Japanese Concepts on the World Living Things)は圧巻だった。この人の方法論には少々異論もあるのだが、徹底して対象に入り込む実体験を基盤とした(命がけの?)発表には、講演という一方向コミュニケーションであるにもかかわらず、対話的な感覚が感じられた。また、現代社会に対する危機感にも共感がある、、賛否両論はあるが、まずは何とかこの講演動画の公開を実現させてみたいと思う。

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2019年05月31日

そもそも

そもそも
 
                富田(町井)直秀

そもそも、を考えると一般常識は?ばかり、、

@ 「地球が太陽の周りをまわっている」が正しくて、「太陽が地球の周りをまわっている」は間違い?
本当? 太陽と地球の質量中心は太陽の中にあるのでまあこれでもいいが、そもそも〇〇が▽▽の周りをまわるってなに?

@ 上昇気流で気温が下がるのは断熱膨張のせい?
本当? そもそも断熱自由膨張に近いのでは?位置エネルギー変化で温度が下がる、と言われれば納得するけれど、、

B 哲学者は哲学を知っている人
本当? 哲学をどのように知らないかを系統的に知っている?

C物理学者は物の理屈を知っている人
本当の物理学者は、物ではない理屈を知っている?

D @〜Cのようなことを言う人は変人だ
はいそうです

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2019年05月28日

第8回京大変人講座:越前屋俵太さんのツッコミと石上真由子さんの演奏・トークで、本来語り得ない何かの影が、ちょっとだけ、、?

第8回京大変人講座の動画が公開となりました。
越前屋俵太さんのツッコミと、石上真由子さんの演奏・トークのおかげで、本来語り得ない何かの影が、ちょっとだけ、、?
いやいや そんなに甘くはないか、、

https://ocw.kyoto-u.ac.jp/ja/opencourse/252

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2019年05月20日

Adults are fool おとなはバカだ

おとなはバカだ 
         富田(町井) 直秀

「おとなはなんてバカなんだ ぼくはぜったいにおとなのようなバカにはならないぞ」 と なんどもなんども くやしなみだをながしていた 

2さいのまごのめを のぞきこんでいると ながいながいあいだわすれていたことを おもいだしたような さっかくにおそわれる

Adults are fool
Naohide (Machii) Tomita

"Adults are fool" I wept and wept swearing in my heart that I would never become a fool like adults.
Looking into the eyes of my two-year-old grandchild, I am caught by an illusion that I remember what I have forgotten long long ago.


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2019年05月07日

多様性を担う、攻撃性を受け止める、

多様性を担う、攻撃性を受け止める、
 
         富田(町井) 直秀

  5月2日ブログ「涙をこらえるのに苦労した、、、」のは、忌野清志郎さんの将来を案じる保護者を「何年か好きなことをやらせてみましょう」と説得した美術教師の小林晴雄さんに対してだ。小林先生は日ごろ、職員室を敬遠して美術準備室にいたらしい(参考:忌野清志郎「僕の好きな先生」)。
  もし私が教師として忌野清志郎さんのような生き方をする学生を担当したならば、叱ったり、説教もしただろうなあと思う。才能を信じたとしても、それが世にどう受け入れられるかなどわからない状況で、小林先生のように親御さんを説得する勇気があったかどうかも疑問だ。小林先生は、偉ぶらず、叱らず、説教もせず、そうして忌野清志郎さんを信じた。このやさしさが、絶望のぎりぎりのところから生まれているように感じて、私は涙を抑えることができなかった。
  蛇足を付け加えると、環境は常に不連続に変化をしていて、イキモノやヒトは環境に適合する能力だけではなく、現在の環境には不適合な多様性も有していなければ、その不連続な変化を生き抜くことができない。教師は、今の社会環境に適合する能力だけではなく、多様性も育てなければならない。たとえば、他とは異なる変わった人やモノは、現在の環境の中では嫌われ、排除される。その苦しさに対してしばしば攻撃性が生じ、その攻撃性は力で抑えることは難しく、社会を不安定にする。けれども、もし力で抑えて抹殺すると、多様性は消滅して社会はさらに不安定になる。
  多様性を育てる、と口で言うのは簡単だが、実際にそれを実践できるのは、自身も絶望のぎりぎりのところを経験した教師だけなのではないだろうか。私たちは、ただ、生れ出た多様な人やその仕事に、おもしろさ、かっこよさを感じているだけだが、本当にかっこいいのは、偉ぶらず、叱らず、説教もせず、攻撃性をやさしく受け止めることのできるコトであって、それは、目に見える行為ではなく、なかなか外からは見えない、しぐさのようなものだ。

posted by トミタ ナオヒデ at 14:35| Comment(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月02日

涙をこらえるのに苦労した、、、

今日(5月2日)、久しぶりにいくつかの紙の新聞を読んでいて、涙をこらえるのに苦労した、、、
天声人語:「十八になる私の子供は内向的でハキハキしません。ギターのプロになるのだと申します。どうしたらよいでしょう」。50年前、本紙の人生相談の欄に投稿が載った。相談者はのちにロックシンガーとなる高校生、忌野(いまわの)清志郎さんの母である、、、

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2019年03月30日

「すき・きらい・SUKIる」の歌 です。SUKI-ru song

「ない をたのしむ展」で公開しました「すき・きらい・SUKIる」の歌です。ほのちゃんの歌声、、耳にのこりますよね、2歳でも歌えます、、、

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2019年03月18日

「ない をたのしむ」ワークショップ

  「ない をたのしむ」ワークショップ:目かくしをしてコミュニケーションをし、お互いの印象を木のイメージにして(目かくしのまま)ものつくりをするワークショップ、が終わりました。桑田知明さんの天才的な「場」創りのセンスと、広瀬浩二郎(国立民族学博物館)先生のおはなし、、、そうして、なによりも子供たちの集中と創造性がすごかった。もう、すごかったとしか言いようがない。
  参加者の承諾が得られたので、いずれ京大OCWに公開します。


3月17日内をたのしむワークショップ2.png
posted by トミタ ナオヒデ at 12:17| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月13日

「ない をたのしむ」展 始まりました  Enjoying ”nothing” @Kyoto University Museum

ない をたのしむ  
Enjoying ”nothing” @Kyoto University Museum

富田(町井) 直秀

http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/social/events_news/department/sougou/events/2018/190324_1630.html

「ないをたのしむ」展が始まりました。桑田知明さん、広瀬浩二郎さん、岩崎奈緒子さん、博物館の皆様、野口尚史さん、豊原響子さん、そうして、南井大輝さん、、本当にありがとう。展示の準備をしていると、なにもできない自分を改めて実感します。支えてもらってばかりいて、せめて何かできないだろうか、と思う、このとても不安定な一本の細いところにかろうじて立っている。

私だけではなく、、この不安定さは、みな同じなかもしれません、、、

とにかくはじまりました。


posted by トミタ ナオヒデ at 12:41| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月29日

Oh, I want to have been more madness

"Oh, I want to have been more madness"

Naohide TOMITA (Machii)

Graduates who visit my lab often say, "Oh, I want to have been studied more." Since we cannot have memories of future, we all are running to the backward future. Indeed, when we want to do something, that is, when we sit on a driver's seat of a large bus running to the backward future and press on the accelerator, learning is one ray of hope. Sciences help us to foresee the future by finding facts and its rules. But the facts and its rules stand on a certain condition, and there are so many discontinuities among these conditions. Knowing science is not knowing "what can it do" but knowing "what cannot it do". We should have some "madness" that deviating from rules. In other words, we should have kind of instinct to quickly change our judgment in case of the discontinuous change.
One thing to keep in mind is that this "madness" must be on the basic principle that "The strong do not ruin the weak". If the strong ruin the weak, diversity is lost and an abnormal state (vicious circle) occurs. In such an environment, the "madness" is transformed into a very ugly destructive energy.
What I want to say here is that we should have experiences of the "normal madness" through arts, sports etc., that is, deviating from rules, being carefully not to ruin the weak, and adapting to the discontinuity of things. This is not the know-how of life but is the spirit seeking the unique and meaningful life. I, who am over the age of 60, also want to have the "normal madness" in order not to complain "Oh, I want to have been more madness".

posted by トミタ ナオヒデ at 15:14| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
京都大学 工学研究科 機械理工学専攻 医療工学分野(医学研究科 生体工学分野) 
〒606-8501 京都市左京区吉田本町 京都大学工学部物理系校舎
医療工学研究室 富田研 425号・426号
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