富田直秀(Naohide TOMITA)     e-mail: tomita.naohide.5c kyoto-u.ac.jp  ←を半角に変えてください。


Dr.Tomita

プロフィール

富田直秀(Naohide TOMITA)材料工学出身。もと整形外科医。現在は医療工学、デザイン、再生医療、バイオメカニクス、バイオトライボロジーなどの研究をしています。

研究とは切り離しておりますが、学生の頃から少しずつ創りためている文章、絵、写真なども公開しています。興味のある方は右のMENUからお入りください。

E-Mail: tomita.naohide.5c@kyoto-u.ac.jp
(@を半角に変えて下さい。たくさんのメールをいただいており、お返事できない場合が多いと思います。申し訳ありません。)

2019年12月10日

愛してるよ I love you

愛してるよ

                      富田(町井)直秀

 三重戯曲アカデミアの公開リーディングが終わった.私は悪事や浮気にまみれた学長役を演じたのだが.その中で「愛してるよ」というセリフを何度も言わなければならなかった.当初はこの言葉を言うことのできる心の状況を探し出せずに七転八倒した.この話題だけでも一冊の本が書けるのではないか,と思えるほどに自分と周囲の様々な変化を経験したのだが,,,要するに,,,一度言えるようになると,何度でも言えてしまう,,,そこには快感さえある,,,

 いったん悪事を働くと,人はなかなか更生できないことに似ているのかもしれないな,,

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2019年12月04日

女神を喰らう獣

  京都学生アート・オークションで,上原真衣さんの「女神を喰らう獣」(http://k-s-a-a.com/archive/ksaa4_20/)を2万円で落札した.丁寧にそうして大胆に創りこめられた若い陶芸家の造形に惹かれた.2万円では本当に申し訳ないと思う.学生の作品を買う,という罪悪感もある.けれども,落札の後に上原さんの作品への comment を見て,やっぱり入札してよかった,と思う.
「現代において私達を蝕む獣とは何でしょう。家族でしょうか、社会でしょうか、国家でしょうか。あらゆる情報が蔓延しSNSが発達する中で、私達は情報の中の敵と闘い、己の正義や善意を暴力の如く振りかざしている様に思います。本当の敵はどこにいるのでしょう。私たちの内側でしょうか、それとも近い将来に訪れる世界でしょうか。私達は何と闘うべきなのか、勝利の女神とは何か、そんな問いを投げかける作品を作っています。」
  会場でお聞きすると,下から喰らいついている怪獣は沖縄のシーサーなのだという.孫のような年齢のこの作者とその作品に込められた時間は,私が独占してはいけない.いろいろな場面で公開していこうと思う.

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2019年11月29日

愛すべき学者バカを、ただのバカに改造

「愛すべき学者バカを、ただのバカに改造」
富田(町井)直秀

  先ほどの投稿文だけではなにを言っているのかわからないですね,すいません.「京大変人講座2(近日発売予定)」の一文です.

「ホンモノの俳優は、公演ごとに同じセリフをしゃべっていても、それはコピーではなく、その時その時にきらきらといつも新しい現実が生まれ出ているように感じます。私たち学者は、コピーされた言葉や式を矛盾なく並べて「わかる」ようにします。わかったなにかはまたコピーできる。つまり、学者とは過去のコピーに縛られたニセモノであって、まあ、役者にしたらバカな大根役者のようなものなのだと思います。でも、ニセモノであることを知ったうえで、バカのように徹底して続けることが SUKI であり続けると、いつか古いコピーを打ち破って新しい何かを発見できる一刹那がある。それを信じてホンモノの学者は SUKI に徹している。まあ優れた役者にはかないませんが、愛すべき学者バカぐらいにはなれるだろうと思っています。その SUKI を忘れて、評価されることばかりを目的としている学者は、ただのバカですね。本当に新しいことはすぐには評価されないので,そんな人は本当に新しいことはしません。今の日本の政府は目の前にニンジンをぶら下げて学者を走らせて、愛すべき学者バカを、ただのバカに改造しているのだと思います。かく言う私も改造されつつある一人なので、この本ではちょっと逆らって、グレてみたいのです。」


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落胆しました

  「落胆しました」
富田(町井)直秀

  先日の学会では,会長や国の役人にかみついた形になってしまった.それぞれ懸命に仕事をされている方たちなので,もう少し相手の立場も考えて発言すべきだったか.なんであんなにアグレッシブになったのだろうか,と考えると思い当たることがある.
  いま,分野間コミュニケーションの一つの方法論として「演劇」を習いに行っている.それは学問が結局のところ,ある仮定(配役)の上に成立する「演技」であるからなのだが(その趣旨は近日発行の「京大変人講座2」を参考にしていただくとして),演技の練習の一環として,物事をわかりやすくはっきりと言うことを心掛けている,,,.学会の場で私が言ったのは「落胆しました」という言葉だった.この言葉を口に出して目の前の人を傷つけるのではなく,いまの学問社会全体への落胆をジンワリとそれぞれに感じさせる「演技」が,いまの私にはまだできていないのだろう.

posted by トミタ ナオヒデ at 09:04| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月14日

山極壽一 「型」という方法論

 以前にご紹介した,京大・山極壽一総長のパリ日本文化会館での講演動画
https://ocw.kyoto-u.ac.jp/ja/international-conference/91
が公開されました.現代社会に潜在し,急速に膨らみつつある新たな暴力性を,この人ほど明確に述べている人はいないと思います(最後の「フィクションの中で生きる我々ができること」の部分).最近,卒業生たちが集まってくれて話をしたのですが,みな,クレーム対応やコスト削減にばかり奔走させられていて,自己の創造性を発揮できず,社会全体に不満と暴力性が堆積しつつあるように感じます.
  ただ,私は山極氏の総長としての行動のすべてに賛同しているわけではありません.学生寮やタテカン問題での対処が,この講演の最後に示された「型」という方法論の一つの表現なのだとしたら,それは視点が少し異なるのだと思います. 
http://www.keikikai.jp/honbu/news/news40.pdf 16,17ページ)

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2019年09月18日

お互いの存在がお互いに依っている

お互いの存在がお互いに依っている
富田(町井) 直秀

9月4日の「京都造形芸術大学の名称変更に関して」.いろいろな人と話すと,私が市大側の意見を言っているように誤解されているので,もう一言だけ.自由競争が成立するための根本条件として,「お互いの存在がお互いに依っている」という基本原理があると考えています.平たく言うと強い弱いにかかわらずお互いに尊敬し合う,ということです.今回の問題も,どちらが強い弱いの話ではなく,お互いに尊敬し合っているのか,という話だと思っています.その意味では,市大側も「京芸」という言葉を登録することによって,人形劇団「京芸」という,真摯な活動を続けている人たちへの尊敬を失っているようにも感じています.


posted by トミタ ナオヒデ at 10:42| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月13日

「ないをたのしむ」展のワークショップ動画 など

おまたせしました.「ないをたのしむ」展 ワークショップ「きく、さわる、つくる」の動画が公開されました!!
https://ocw.kyoto-u.ac.jp/ja/opencourse/291

すき・きらい・SUKI-ru の歌も聞いてくだされ(歌手:ほのちゃん)
https://www.youtube.com/watch?v=fjEy5tWyCiw

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2019年09月08日

やなやつ

やなやつ

     富田(町井) 直秀

  戯曲アカデミア(https://www.center-mie.or.jp/bunka/invite/detail/27703)というワークショップに参加している.半年をかけてチームで戯曲の小作品を完成させて,最後にそれを自分たちで演じる.戯曲は昔から何度か書いてみたことがあるのだが,演技は初めてだったので,その即興劇が面白くてたまらない.私の属するチームは,大学寮からの退去を求められた学生の物語で,時々短い即興演技をしてみてから意見を出し合って配役やプロット(物語の筋)を決めていく.私はたいてい追い出す側の「やなやつ」の演技をして,わざと周囲の嫌がるような言葉を,湯水のように湧き出させる,,その自分が,なんとも心地良いのだ.これは演技ではなく,たとえば,演技が終わって普段の自分に戻って皆の意見に対して「なるほど」「いいねえ」「おもしろいねえ」などと言っている(それはそれでまったくうそではないのだが)その私こそが演技をしている自分だと,つまり普段の自分こそが演技だったのだと,思えてくる.演劇をやっている人はだれしも感じることなのだろうか,,,私の本性は「やなやつ」にあるのかもしれないし,または,無意識に抑えられていた反動がここにあらわれているのかもしれない.とにかく面白い.


posted by トミタ ナオヒデ at 11:37| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月04日

京都造形芸術大学の名称変更に関して

京都造形芸術大学の名称変更に関して

     富田(町井)直秀

  日本には(良くも悪しくも),あいまいな状態の中でお互いを尊重し合う文化があるのだと信じています.京都造形芸術大学の名称変更にかかわる対立が,もし法廷で争われる事態となった時,成否は明白に判断されるのかもしれませんが,日本文化の損失は大きいように思います.
  たとえば,京都市芸術大学が「京都芸大」「京芸」の名前を商標登録出願した7月11日に,なぜ「京都芸術大学」を出願しなかったのか.あくまで推測ですが,この時点(7月12日に京都造形芸術大学学長が京都市立芸術大学に来校する前)で「京都芸術大学」を出願すると,それは相手がどう出るかを見極める前に明らかに相手の行動を真っ向から阻止する行動であって,それは「えげつない,または fair でない」と判断したのではないでしょうか?7月18日に出願したときには,すでに京都造形芸術大学側が「京都芸術大学」を1日前に出願した後であったわけです.ああ11日に出願しておけばよかった,と悔やむのだろうか,もっと賢く行動すべきだった,と反省しなければならないのだろうか.そのようなこと,つまり,より狡く賢くふるまうことが,芸術の教育現場に望まれるのだとしたら.そのこと自体が,日本の文化の危機であろうと思います.
  両大学が非難し合うのではなく,それぞれの良さを認め合う場で解決することを切に望みます.


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2019年08月28日

絵がとしをとる

1980年ごろに描き始めて,未だに描いている絵です.この3年ほどでぐっととしをとってしまった,,



1980年ごろに描き始めた絵 富田(町井)直秀.jpg
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2019年06月12日

アートと科学技術 between art and science

La Lointaine meeting

 アートと科学技術との間にある深くて暗い溝はどのようにして渡ることができるのか、、
今回は、フランスで芸術・社会活動を続けておられるMasako Sauliereさんと京大未来創成学ユニットの村瀬雅俊先生が主催された La Lointaine meeting の様子を360度動画で公開します。
 様々な分野の研究者が、言葉をはっきりと定義せず、論理の飛躍を許して英語で話し合い、共感を探ります。定義・対象化することで失われてしまうアート感覚を英語で表現し得るのか、、、ご感想はいかがでしょうか?

"understanding and way of understanding"
https://youtu.be/1eX4MkyP_Bg
https://youtu.be/rX3CoFHx-3s
https://youtu.be/CtWnz7lLk9Q

"Scientific explanations for living system"
https://youtu.be/SqIiEVl-AGQ
https://youtu.be/LxpYqcFf5bY

How can the deep and dark gutter between art and science be passed?
This is 360-degree videos of "La Lointaine meeting" designed by Masako Sauliere (La Loingtaine) and Masatoshi Murase (Kyoto University)
In this dialogue, researchers in various fields do not define words clearly, allow leaps in logic, and search for empathy. Can we express the sense of art which are lost by definition and objectification in English?, , How are your thoughts?


posted by トミタ ナオヒデ at 18:30| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月10日

山極総長の講演

  京大‐フランスの国際会議「Does-Nature-think-自然は考えるのか」
http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~future/news/2019-6-6-8.html
  最終日の山極総長(京大)の発表(Japanese Concepts on the World Living Things)は圧巻だった。この人の方法論には少々異論もあるのだが、徹底して対象に入り込む実体験を基盤とした(命がけの?)発表には、講演という一方向コミュニケーションであるにもかかわらず、対話的な感覚が感じられた。また、現代社会に対する危機感にも共感がある、、賛否両論はあるが、まずは何とかこの講演動画の公開を実現させてみたいと思う。

posted by トミタ ナオヒデ at 15:45| Comment(0) | 論文調の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月31日

そもそも

そもそも
 
                富田(町井)直秀

そもそも、を考えると一般常識は?ばかり、、

@ 「地球が太陽の周りをまわっている」が正しくて、「太陽が地球の周りをまわっている」は間違い?
本当? 太陽と地球の質量中心は太陽の中にあるのでまあこれでもいいが、そもそも〇〇が▽▽の周りをまわるってなに?

@ 上昇気流で気温が下がるのは断熱膨張のせい?
本当? そもそも断熱自由膨張に近いのでは?位置エネルギー変化で温度が下がる、と言われれば納得するけれど、、

B 哲学者は哲学を知っている人
本当? 哲学をどのように知らないかを系統的に知っている?

C物理学者は物の理屈を知っている人
本当の物理学者は、物ではない理屈を知っている?

D @〜Cのようなことを言う人は変人だ
はいそうです

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2019年05月28日

第8回京大変人講座:越前屋俵太さんのツッコミと石上真由子さんの演奏・トークで、本来語り得ない何かの影が、ちょっとだけ、、?

第8回京大変人講座の動画が公開となりました。
越前屋俵太さんのツッコミと、石上真由子さんの演奏・トークのおかげで、本来語り得ない何かの影が、ちょっとだけ、、?
いやいや そんなに甘くはないか、、

https://ocw.kyoto-u.ac.jp/ja/opencourse/252

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2019年05月20日

Adults are fool おとなはバカだ

おとなはバカだ 
         富田(町井) 直秀

「おとなはなんてバカなんだ ぼくはぜったいにおとなのようなバカにはならないぞ」 と なんどもなんども くやしなみだをながしていた 

2さいのまごのめを のぞきこんでいると ながいながいあいだわすれていたことを おもいだしたような さっかくにおそわれる

Adults are fool
Naohide (Machii) Tomita

"Adults are fool" I wept and wept swearing in my heart that I would never become a fool like adults.
Looking into the eyes of my two-year-old grandchild, I am caught by an illusion that I remember what I have forgotten long long ago.


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2019年05月07日

多様性を担う、攻撃性を受け止める、

多様性を担う、攻撃性を受け止める、
 
         富田(町井) 直秀

  5月2日ブログ「涙をこらえるのに苦労した、、、」のは、忌野清志郎さんの将来を案じる保護者を「何年か好きなことをやらせてみましょう」と説得した美術教師の小林晴雄さんに対してだ。小林先生は日ごろ、職員室を敬遠して美術準備室にいたらしい(参考:忌野清志郎「僕の好きな先生」)。
  もし私が教師として忌野清志郎さんのような生き方をする学生を担当したならば、叱ったり、説教もしただろうなあと思う。才能を信じたとしても、それが世にどう受け入れられるかなどわからない状況で、小林先生のように親御さんを説得する勇気があったかどうかも疑問だ。小林先生は、偉ぶらず、叱らず、説教もせず、そうして忌野清志郎さんを信じた。このやさしさが、絶望のぎりぎりのところから生まれているように感じて、私は涙を抑えることができなかった。
  蛇足を付け加えると、環境は常に不連続に変化をしていて、イキモノやヒトは環境に適合する能力だけではなく、現在の環境には不適合な多様性も有していなければ、その不連続な変化を生き抜くことができない。教師は、今の社会環境に適合する能力だけではなく、多様性も育てなければならない。たとえば、他とは異なる変わった人やモノは、現在の環境の中では嫌われ、排除される。その苦しさに対してしばしば攻撃性が生じ、その攻撃性は力で抑えることは難しく、社会を不安定にする。けれども、もし力で抑えて抹殺すると、多様性は消滅して社会はさらに不安定になる。
  多様性を育てる、と口で言うのは簡単だが、実際にそれを実践できるのは、自身も絶望のぎりぎりのところを経験した教師だけなのではないだろうか。私たちは、ただ、生れ出た多様な人やその仕事に、おもしろさ、かっこよさを感じているだけだが、本当にかっこいいのは、偉ぶらず、叱らず、説教もせず、攻撃性をやさしく受け止めることのできるコトであって、それは、目に見える行為ではなく、なかなか外からは見えない、しぐさのようなものだ。

posted by トミタ ナオヒデ at 14:35| Comment(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月02日

涙をこらえるのに苦労した、、、

今日(5月2日)、久しぶりにいくつかの紙の新聞を読んでいて、涙をこらえるのに苦労した、、、
天声人語:「十八になる私の子供は内向的でハキハキしません。ギターのプロになるのだと申します。どうしたらよいでしょう」。50年前、本紙の人生相談の欄に投稿が載った。相談者はのちにロックシンガーとなる高校生、忌野(いまわの)清志郎さんの母である、、、

posted by トミタ ナオヒデ at 10:45| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月30日

「すき・きらい・SUKIる」の歌 です。SUKI-ru song

「ない をたのしむ展」で公開しました「すき・きらい・SUKIる」の歌です。ほのちゃんの歌声、、耳にのこりますよね、2歳でも歌えます、、、

posted by トミタ ナオヒデ at 19:21| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月18日

「ない をたのしむ」ワークショップ

  「ない をたのしむ」ワークショップ:目かくしをしてコミュニケーションをし、お互いの印象を木のイメージにして(目かくしのまま)ものつくりをするワークショップ、が終わりました。桑田知明さんの天才的な「場」創りのセンスと、広瀬浩二郎(国立民族学博物館)先生のおはなし、、、そうして、なによりも子供たちの集中と創造性がすごかった。もう、すごかったとしか言いようがない。
  参加者の承諾が得られたので、いずれ京大OCWに公開します。


3月17日内をたのしむワークショップ2.png
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2019年03月13日

「ない をたのしむ」展 始まりました  Enjoying ”nothing” @Kyoto University Museum

ない をたのしむ  
Enjoying ”nothing” @Kyoto University Museum

富田(町井) 直秀

http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/social/events_news/department/sougou/events/2018/190324_1630.html

「ないをたのしむ」展が始まりました。桑田知明さん、広瀬浩二郎さん、岩崎奈緒子さん、博物館の皆様、野口尚史さん、豊原響子さん、そうして、南井大輝さん、、本当にありがとう。展示の準備をしていると、なにもできない自分を改めて実感します。支えてもらってばかりいて、せめて何かできないだろうか、と思う、このとても不安定な一本の細いところにかろうじて立っている。

私だけではなく、、この不安定さは、みな同じなかもしれません、、、

とにかくはじまりました。


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2019年01月29日

Oh, I want to have been more madness

"Oh, I want to have been more madness"

Naohide TOMITA (Machii)

Graduates who visit my lab often say, "Oh, I want to have been studied more." Since we cannot have memories of future, we all are running to the backward future. Indeed, when we want to do something, that is, when we sit on a driver's seat of a large bus running to the backward future and press on the accelerator, learning is one ray of hope. Sciences help us to foresee the future by finding facts and its rules. But the facts and its rules stand on a certain condition, and there are so many discontinuities among these conditions. Knowing science is not knowing "what can it do" but knowing "what cannot it do". We should have some "madness" that deviating from rules. In other words, we should have kind of instinct to quickly change our judgment in case of the discontinuous change.
One thing to keep in mind is that this "madness" must be on the basic principle that "The strong do not ruin the weak". If the strong ruin the weak, diversity is lost and an abnormal state (vicious circle) occurs. In such an environment, the "madness" is transformed into a very ugly destructive energy.
What I want to say here is that we should have experiences of the "normal madness" through arts, sports etc., that is, deviating from rules, being carefully not to ruin the weak, and adapting to the discontinuity of things. This is not the know-how of life but is the spirit seeking the unique and meaningful life. I, who am over the age of 60, also want to have the "normal madness" in order not to complain "Oh, I want to have been more madness".

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2019年01月25日

ああ、もっと狂っておけばよかった


「ああ、もっと狂っておけばよかった」
  (京大ホッケー部、OB会誌原稿)

              部長 富田 直秀
            (工学研究科医療工学分野)

  社会に出てから研究室を訪れてくれるOBたちが口をそろえて言うのは、「ああもっと勉強をしておけばよかった」、という言葉です。私たちは未来の記憶を持つことができないので、この真っ暗な未来に背を向けて後ろ向きに走っています。ましてや、運営を任され、つまり、後ろ向きに走る大型バスの運転台でハンドルを握らされ、バックギアーにつながれたエンジンのアクセルを踏み込まなければならない立場に置かれたとき、学問は一つの光明であるには違いないと思います。けれども、それぞれの歴史と法則性は、あくまである環境・条件内でのみ成り立つのであって、私たちの生活には、単一の法則や過去の流れのみでは予測し得ない数多くの不連続性があります。学問を知る、とは、学問で「何ができるか」を知ることの以前に、それぞれの学問がどういった条件下に成立していて、「何ができないか」を知ることであろうと思います。その時に求められるのは、あえて法則や習慣性から逸脱する「狂気」なのかもしれません。つまり、ヒトや社会の不連続性に対峙して、機敏に判断を変えていく本能のようなものかもしれません。
  一つ注意しなければならないのは、この狂気は「強いものが弱いものを虐げない」という基本的な原則の上に成立していなければならないことだと思います。強いものが弱いものを虐げると、そこに多様性は失われ、異常な状態(悪循環)が生じます。このような環境では、狂気は一変してとても醜い破壊エネルギーに変換されてしまいます。現代社会に、抑圧されたとても大きな破壊エネルギーを感じているのは、私だけではないのではないでしょうか?
  ここで言いたいことはもう明白ですね。スポーツなどを通じて、「正常な狂気」を体験しておくこと、つまり、弱さを虐げないように注意をしながら、あえて法則や習慣性から逸脱して、ものごとの不連続性に対峙する力を身に着ける、、、それは処世というよりは、意味のある唯一の人生を送るための極意かもしれませんね。「ああ、もっと狂っておけばよかった」などと後から嘆かなくてもいいように、正常な狂気を身に着けたいと、還暦を過ぎた今も切に思っています。


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2018年12月10日

孫の病院受診に立ち会って感じました

(孫の病院受診に立ち会って感じました)

 臨床医の皆さん。
 自分や自分の家族にはしないけれども、患者さんにはしている検査や治療、そうして他科の紹介。ありますよね。多くは、稀で重篤な疾患が疑われた時で、自分や家族にはいわゆる自己責任でそれをしないわけですが、、たとえば「1年の間に交通事故で死ぬぐらいの確率」といったように正確かつ実感的に説明したり、「私自身ならば、ほっておくけれどね」と、少し自信なさげにつぶやいてくれるならば、お互い、もう少し冷静な判断が可能になるように思います。

 もう一つ、中東から来たある医師がこう言いました「私の国では、いかに効率的に治療をすすめるかを考えますが、日本ではいかに言い訳できるかに多くの労力が費やされている。」


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2018年11月21日

中学生のコメント

中学1年生のコメントがすごい、、
科学・医療・アートをつなぐ「好き・SUKI」の力学
@京都府立福知山高等学校付属中学校

https://ocw.kyoto-u.ac.jp/ja/opencourse/235/

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2018年11月20日

秋山陽 展

 未だにショックから立ち上がれない、、
「秋山陽:−はじめに土ありき−」に展示されていた秋山先生の新作をみて、、いろいろな仕事に押しつぶされそうになっていた自分など吹き飛んでしまった。何億年か前に星間旅行をしたエンジン、を思わせるような、この物体。創るにしろ、運ぶにしろ、展示するにしろ、とてつもない「命令」が必要であったに違いないのだが、その「命令」が、まったく感じられない。その黒く赤茶けた肌が、無垢で無限の「発見」だけを主張している。こんな物体がここに存在できるのだろうか。時間が、私の想像できる範囲をはるかに超えてしまって、私は、未だ、ボーっとしたままだ。

 まずは、今日の夕方の委員会までに平常心に戻らなければ、、


2018年11月10日(土) – 11月25日(日)
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA

http://gallery.kcua.ac.jp/exhibitions/20181110_id=12799#ja
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2018年09月18日

できる、と、できない


  
富田(町井) 直秀

  明後日は中学校での講義がある。今までのように、再生医療、人工臓器とかイキモノとは、といった内容で進めるのか、「私」の発見、という内容も含めるのか、この1カ月ほど、迷いに迷って、未だ迷いの中にある。ある出版社の方は、「私」の発見お話を、ぜひ童話にしましょう、と声をかけてくれている、、、しかし、、できないことをできるようにしようと苦しんでいる若い人たちに、「できる」と「できない」のどちらも、「私」の発見過程ですよ、と伝えることに意味はあるだろうか、、
  私が中学生だったころ、修学旅行でのお寺の講演で「過去や未来を考えずに(いま)に集中して生きなさい」と聞いたその何か月か後に、有名であるらしい教育評論家が「しっかりと将来に目標をもって生きなさい」と講演をした。それぞれに意味があっても、言葉にすると矛盾が生じるのだ。そもそも、こういった内容は、それこそ自分で「発見」するからこそ意味があるのであって、言葉で聞き知る内容ではないではないか。
 まだ迷っている、、 どなたかご意見をください。



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2018年09月10日

幻想と差別を生んでいるのは、われわれ学者だ(制御と学習)


幻想と差別を生んでいるのは、われわれ学者だ(制御と学習)
   
富田(町井) 直秀

  スポーツ、芸術、教育、そうしてすべての活動において、制御と学習とが混同されているように思う。たとえば、テニス選手が「ラインを狙ってボールを打つ」のは、「私」が身体を制御した結果のように解釈されている。けれども、地面から足、足関節、脚、、と多くの関節を経てラケット・ボールに至る力学構造はとても複雑で多くの誤差を含んでいる。さらに10m以上離れた地点のミリ単位の違いが見えているわけでもない。様々な気象条件下での無数の学習(練習)を繰り返すことによって、身体、ラケット、ボールを含めた無意識の関係性が形成され、その関係性の中に「私」が発見されるのが真実であろう。簡単に言うと心技体が一致しているのであって、難しく言うと、「私」(たとえば評価関数)が決定した後に生じる「制御」ではなく、「私」(たとえば価値関数)が原則的には後で生じる(または、他者が自己に同一化される)「学習」の過程が、まずその根本的な原理である。
  難しい話はどうでもいいが、現代社会や現代の教育現場が、「制御」に傾倒していて「学習」が軽視されていることは大問題だと思う。できない者ができる者よりも劣っているように解釈されるのは、制御の視点でとらえられているからであって、「私」の発見が本来のゴールである学習では、できないことと、失敗の繰り返しこそが自己同一の要点だ。制御と学習は、人間の言葉と技術が、まだそれをはっきりと区別するほどには発達していないのが現実だが、しかし、現場では言葉になりにくい様々な方法でそれが伝承されている。
  わかっていないことを分かったように言って、幻想と差別を生んでいるのは、われわれ学者だ。
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2018年06月20日

藝術学関連学会連合シンポジウム「消費社会における「役に立つ」」アート教育に学ぶ

先日.慶應大学にて行われました藝術学関連学会連合シンポジウムでの発表内容です



消費社会における「役に立つ」
--- アート教育に学ぶ ---

                   京都大学工学研究科教授 富田(町井)直秀 

  人類は欲望の充足ために生産技術を発達させてきたが,現在は技術が先行して欲望が作り出される消費社会となった.ヒトの存在性にかかわる事項さえもが定量化最適化され,交換価値として他人事のように扱われる現代では,「自分事」を徹底的に問い続けるアート視点の教育が,「役に立つ」ためのもっとも基本的な教養となりつつある.発表では,「1人になりたいけれど寂しい」「知りたいけど知りたくない」「安楽だと苦しくなる」「無視されるとつらい.同情されるともっとつらい」といった臨床現場で対峙する様々な矛盾と,時間的,空間的多様性が「正常」を持続させる概念などを紹介し,いわゆる「傾向と対策」のみでは対峙し得ないヒトの矛盾や多様性に,アート視点の教育がいかに「役に立つ」かを,音や具体事例として提示した.
  また,「生きることの迷惑を積極的に受け入れられる」ことを,医療の一つの目標と設定して,アーティストたちが自分たちのアート活動に伴う迷惑を積極的に受け入れられるために常識として行っている様々な作法:たとえば,異なる世界観の尊重、本当にやりたいことへの徹底性,みずからの「行為」よりも,おのずからの「しぐさ」を尊重する姿勢,など,,の,教養教育としての可能性を論じた.

参考動画:
(難聴者のための音楽)https://youtu.be/oYA8p0M0trY?t=3259
(病と雑音の香り1部)https://www.youtube.com/watch?v=m2rdNVVCRSA
(おもろトーク)http://ocw.kyoto-u.ac.jp/ja/opencourse/149/video04
(メンタルヘルス)https://www.youtube.com/watch?v=h5U7cT_vq1s
(デザインスクール)https://www.youtube.com/watch?v=_xxZWaoax2Q
(異分野交流会)https://www.youtube.com/watch?v=GbE5k6dRzQ0&t=3746s

ANSHINデザインコンセプトブック:http://anshin-design.net/link/index.html
著者ブログ:http://tomitaken.seesaa.net/

posted by トミタ ナオヒデ at 10:27| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月01日

絵の感想をありがとうございました

皆さま

 絵の感想をありがとうございました.
 私は(ご存じだったでしょうか?)一種の書痙と図形記憶の脆弱さがあって,小さなころから絵や文字が極度にへたくそな人間でした.今回は,その「描けない」ことによって,かえって世界観が凡庸にならずにすんだのかもしれません.ここから本当の自分の世界観に到達するまでが死に物狂いです.ちなみに,芸術活動は周囲に対して大大大迷惑ですが,今回の賞候補は,家内の口にテープを貼って (~_~) ⇨ ("x";) 私のわがまま環境を維持するのにとても重要な一歩でありました.

posted by トミタ ナオヒデ at 15:44| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月21日

入場券をお送りした方々への言い訳書です

言い訳書

  上野の森美術館大賞展の入場券をお送りします.「もくてきはない1 no purpose1」(作者名:町井直秀)を出品しておりますので,もしお時間があれば,併せてごらんください.その名のごとく,作品に目的はありませんが,以下,医療工学の開発研究を生業にしております私が出品していますことなどの言い訳をさせていただきます.

  まず,社会的視点から見た私(作品)についてお話しします.医療・福祉現場には,どうしようもない不自由な状況があります.もちろん,医療技術開発者として,また,もと臨床医としても,このどうしようもない状況に対して常に挑戦的であらねばならないのだと思います.しかし,日本画家の故小池一範先生と偶然にお会いしてから様々なアーティストの方々と交流するようになり,さらに家内の医療事故や,高校時代に私を支えてくれた友人の不幸などを経験して「役に立つ」ことを考えますと,医療と工学だけではなく,アートの概念が,本当に「役に立つ」ことためには必要不可欠であろう,と思うようになりました.これまでの人工関節や軟骨再生分野における治療開発は今まで以上に継続しますが,アート概念をこの分野に融合させる活動も精力的に行っていこうと考えています.昨年行いました「病と雑音の香り」企画から,難聴の方に音楽を味わっていただく動画を作成した例(京都大学 OCW),
https://youtu.be/oYA8p0M0trY?t=3259
をご覧ください.石上真由子さんの演奏(André Jolivetの曲)の音を消して、デザイナーの桑田知明さんの動画の絵を提示しています.演奏後に全盲の広瀬浩二郎先生(国立民族学博物館)が述べられた感想も併せてご鑑賞ください.目が見えない,耳が聞こえない,歩けない,記憶できない,,,などの機能障害の故に,かえって深まる世界観を表現することによって,客観的に見た機能障害の自分と,それぞれの世界観から見た自分との矛盾的な同一の動きを表現し,従来の「役に立つ」を "ANSHIN" という概念に拡張し,開発の一つの具体的な方向性として海外にも主張をしていきたいと考えております.

  次に,私の内面から見た世界観をご紹介します.
幼少時より極端に記憶力が劣っており,また,意志を持つとその意志に逆らう力が内から湧いてきてしまう人間である私は,目的を持たず,ただ目前の「できること」に集中することで,この歳まで何とか処世を続けてまいりました.「役に立つ」を研究の目標に掲げてからも,計画を持たず,目前の思い付きの実現にのみ集中してきたのだと思います.記憶によって支えられた確固たる自分を持たず,目前のヒトやモノやコトにすがって生きている私は,前述のように医療福祉現場や身近の「絶望」を経て,「祈る」ことの表現に至ったのだと思います.研究においては「機能」を,アートにおいては「かけがえのなさ」を漠然と念頭においておりますが,私の内面において両者に区別はなく,研究や開発においても,その目的性よりも,むしろ目的の無い「祈り」こそが, "ANSHIN" に至る現実的な方法論であると考えています.

  前述のごとく,今回の作品に意図・目的はありませんが,「できる」ではなく「できない」ことによる世界観の深まりを意識しております.

2018年4月


富田(町井) 直秀
posted by トミタ ナオヒデ at 08:06| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月19日

Music image for people with hearing loss 難聴の方に音楽を

病と雑音の香り 第2部をOCWに公開しました.
石上真由子さんの演奏(André Jolivetの曲)の音を消して、桑田知明さんの動画の絵を提示しています.演奏後の広瀬浩二郎先生(国立民族学博物館准教授)のご感想は,さらに私の世界観を広げてくれました.ほんとうにありがとうございます.

https://youtu.be/oYA8p0M0trY?t=3259

The violin performance (André Jolivet's music) by Mayuko ISHIGAMI and picture movie by Chiaki KUWATA are combined to make a music image for people with hearing loss. Comments of professor Kojiro HIROSE (National Museum of Ethnology) have deepened my feeling.
posted by トミタ ナオヒデ at 17:10| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月13日

It's ridiculous that religion causes conflict.

no purpose Naohide MACHII TOMITA small.jpg

宗教が紛争を引き起こすなんてばかげている。
各宗教の説教を調べて、祈りに目的がない,という記述を探し出そう.それはきっと存在するはずだ.もし,「祈り」と「願い」が同じであるのならば、宗教が在ることの意味は何なのでしょうか.

It's ridiculous that religion causes conflict.
Study the sermons of each religion and find out the statements that there is no purpose in prayer. It certainly should exist. If "prayer" and "wish" are the same, what is the meaning of religion?

                                     Naohide


posted by トミタ ナオヒデ at 14:07| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月06日

私のニセモノ性    富田(町井)直秀

私のニセモノ性

                            富田(町井) 直秀

上野の森美術館大賞展に「もくてきはない1 no purpose1」(作者名:町井直秀)が入選(賞候補)した.目的のないところにこそ,機能回復だけではない医療の本来の姿がある,という,この絵は私の医療工学の仕事のもう一つの表現でもある.医療現場で出会った多くの人たちは,実は技術に描かれた機能回復よりも目的をもたない純粋な祈りに救われている.医療を神秘主義に陥れようとしているのではない.安定化によって不安定となる逆説的な生体システムの中で,技術はその目的を一時的に達成するにすぎないが,目的のない祈りを内包した人と人,人と技術との関係性は自(おの)ずから多様性を生み,悪循環を徐々に脱していく力となる.医療や技術の本質を,雪深い森の,冷たい湖に根元まで浸かった樹木たちの像に託した.
では具体的に何をすればいいのですか?と学生たちに聞かれれば,私のニセモノ性はすぐにでもあらわとなるだろう.人工関節や軟骨再生の仕事のなかで,私は相変わらず機能を目的にしている.技術が人に対してできる行為は,結局のところ機能回復しかないのか,その不満を絵に発散しているだけなのか,,,.
3年前に出品した「メルトダウン melt down」は,裏から顔料を流したり焼いたり千人針をしたりして制作に4年かかったが,出品してしまってからも,本当にあれは私の描きたい絵だったのだろうか,絵が帰ってきたら燃やしてしまおう,などと悩んだ.「もくてきはない no purpose」,は,その名の通り,展覧会に入選しようとする目的性や,祈りの目的性や上述のような技術の目的性を恥じて3年前に制作を開始した.『色即是空 空即是色」の白い文字で線を消し,また描き,削り,また消しと,比較的単純な作業を繰り返した.目的性を否定する行為が,かえって目的を達成させる,,,絵のことを皆に知らせたくて,みてもらいたくてそわそわしている私のニセモノ性は,,絵を描くことによって,よりいっそう明白になっていく.


posted by トミタ ナオヒデ at 08:26| Comment(2) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月05日

「本音のお話」京都大学フィールドホッケー部 OB会誌

「本音のお話」

                    部長 富田 直秀
                    (工学研究科医療工学分野)

  私ほど何もしない部長は珍しいと思います。にもかかわらず、またはそのおかげで、(我が)フィールドホッケー部は男子部も女子部も堅実な戦いを続けています。部長会で各部の戦績が配られるたびに(裏にある様々な苦労を知らぬままに)、誇らしい気分を味わせていただいています。ここで、(我が)と括弧をつけて表現したのは、私がなかなか練習を見に行けず、応援にも行かず、口ばかりで何もしていない後ろめたさのためです。責任は担いつつ、少し離れたところから見守っている、と思い込むことで自分への言い訳にしています。
  さて今回は、ホッケー部諸君やOBの方々とのお付き合いの中で今まで決して口にしなかった「本音」を吐露しようと思います。私がかかわってきたテニスや剣道の、いわゆる個人種目でも、たとえば「集団にハマる」とか「進んで犠牲になる」といった集団意識や、レギュラー争いなどはあるのですが、客観的基準で代表選手を選考できる分だけ、集団と個人との関係性は淡白であったように思います。例えば、appeal や promote や support の能力がなくとも、内向的に集団の中に自身の位置を築くことも不可能ではないわけです。もちろんのこと、これらの能力は社会生活においてすこぶる重要であり、ホッケー部のOBの方々とお話をするたびに、個人競技で知り合った仲間たちとは少し違った、集団の中で積極的に生きる「カッコよさ」を感じる時がありました。
  さてしかし、昨今の世界情勢の中でこの「カッコよさ」をどのように使うのか、つまり、社会がある一つの方向に流れ出した時に、それぞれの人の価値観の多様性を、この「カッコよさ」が守るのか、または一丸とならない「他」を排除するのか、が問題なのだろうと思います。個人的にホッケー部のOBの方々に感じている「カッコよさ」は、圧倒的に前者です。つまり、appeal、promote、support の能力を、それぞれがそれぞれの生き方を遂行させるために用いておられる、そんな風に感じています。現役諸君のホッケー生活の匂いをブログなどから感じ取りますと、やはり、この前者の「カッコよさ」を感じる時があります。志を一つに一丸となりながらも、むしろその中で個性を生かし、また「他」に対しても尊敬を失わない。その伝統が、今の活躍を支えているのだ、と思い込みかもしれませんが、そう思い込むことこそが大切であろうと思います。

posted by トミタ ナオヒデ at 14:18| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月05日

Art-view 教育(筏義人先生の絵)

故 小池一範先生にはじめて芸大の講評会を見学させていただいたときに、素人目には下手にみえる絵ほど褒められているように思えたのを覚えている。あれから、多くの芸術家の方々とお付き合いをして、芸術家たちが、「できてしまう」「描けてしまう」ことに七転八倒して苦しんでいることを知った。この、できてしまうことによって自己が疎外されてしまうこと、こそが現代の科学技術が抱えているもっとも根本的な問題ではないだろうか、と、これまでの経験をエンジニアのart-view 教育論として英語論文に纏めている。

別の話なのだが、私が京大に赴任した時に「論文はもういいですから、役に立つ研究をしてください」と言われた筏義人先生から、柿の絵が送られてきた。最近、水彩画を習い始めたのだと言われる。そういえば、筏先生も優秀な研究者に厳しく、またそうではない研究者には、むしろやさしく接しておられたように思う。「役に立つ」も、本来はアートの問題なのだろう。論文を書くな、ということではなく、「他人事」のように研究をするな、という戒めであったのだろう、と勝手に解釈している。

 絵は、以前に娘たちが描いてくれた還暦祝いの絵の横に飾った。

筏先生 2017年11月 トリミンク2.JPG

posted by トミタ ナオヒデ at 14:50| Comment(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月02日

失われた何か?

約40年間少しずつ描き続けている家内の絵が、11月には右のようになりました。3月から11月までの8か月間に、線や色の技術がちょっと上達した分だけ、何かが失われてしまった、、どこか、わざとらしくなってしまったように感じます。

MARIKO 失われた何か .png
posted by トミタ ナオヒデ at 22:01| Comment(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

京都都大学サマーデザインスクール 2017,松原班「落下するモノをデザインする」

松原厚(Atsushi MATSUBARA)先生が、京都大学サマーデザインスクール 2017で企画された「落下するモノをデザインする」では、短い時間と安い素材から、いろいろな創造が生まれました。「落下するモノ」というあいまいな概念から、様々に応用可能な概念が生じてくる、つまり、目的から後から生じてくる過程が圧巻でした。仮想現実映像で、それぞれのアイデアが誕生した時の臨場感を味わっていただけます.
(スマートホンなら機械を傾けることによって、コンピュータならば、画面を移動させることによって360映像像を体験できます)

類間の争い?共生?結合?
https://youtu.be/FIRm-fXqNnU

うじうじ類原始形
https://youtu.be/zKXrkK4BfkM

ふわふわ類原始形
https://youtu.be/T3cmIeMtzLI

予測不可能類原始形
https://youtu.be/YYD8BkqakDQ

スパイラル類原始形
https://youtu.be/WQuu5voBqUo

ごろごろ類原始形
https://youtu.be/MVgF8BOSaHg

ともいき類原始形
https://youtu.be/01grbkU_bM0

ひねり類原始形
https://youtu.be/v0it4y3512c

うにょうにょ類原始形
https://youtu.be/ITSPN6n6xWs



 


https://goo.gl/3pBviK
posted by トミタ ナオヒデ at 22:56| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月31日

体質変わった?

何年かぶりにクロッキーしてみたら,ものの見え方が全く違っている,,,
形に囚われるな,,と,自己暗示はかけていたけれども,,体質が変わった?




ひさしぶりのクロッキー 直秀 (Naohide).jpg
posted by トミタ ナオヒデ at 12:38| Comment(0) | TrackBack(0) | アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月05日

理由のない尊敬

             理由のない尊敬
                               富田 直秀

ひさしぶりの高校の同窓会でSに会った。
友人、というほど仲がいいわけではなかったが、なぜか尊敬している。
尊敬していた友人は他にもいるのだが、長い時間が経つと、その尊敬していた理由も少しずつ色あせてくる。Sに対する尊敬は、その理由がわからないので、色あせもしない。

おそらく、、その理由のなさを尊敬しているのだ。
何でがんばるのか、とか、何でさぼるのか、とか、何で生きているのか、といった理由なしに、Sはがんばるためにがんばり、さぼるためにさぼり、今も生きるために生きているように感じられた。そういえば、高校時代は映画研究部で映像を創っていたSは、今も映像を創り続けているという。創り続けていること自体はどうでもいいのだろう。いちいち理由のないところがすごいと思う。

posted by トミタ ナオヒデ at 12:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月26日

何が問題なのかはっきりしないことが問題

グレいく大学教員の独り言
(何が問題なのかはっきりしないことが問題)

欲望が生産によって作られる時代になって久しい.学生が自由(freedomではなく,自ずからに由る自由)を失っていく姿も,もはや幻影ではないように思う.あれがいい,こっちのほうがよさそう,,といった(いわゆる即自的な)好みに翻弄されてしまうのは今も昔も変わりはないが,その好みがプチ満足とともに与えられてしまうためか,本当に自分がしたいことは何だろうか,,と自分探しに悩む姿もあまり見られなくなってきたように思う.私が歳をとって若者の当事者としての現実に鈍感になっていることを差っ引いても,,やはり現代は,何が問題なのかがはっきりしないことが問題な時代なのだ.

動きの鈍い大学に比べて,NHK番組の「ドキュメント72時間」「バリバラ」などは,時代の流れをよく見て「自ずからに由る」を実践しようとしているなあ,と感心する.もちろん,多様なnoやyesをカットして体裁を整える昔ながらの作業が,一種の価値観の刷り込みとなっている場面もあるけれども,けれども,「自ずからに由る」を継続させよう,という意思は感じられる.個人的には,BS1のワールドニュースや,深夜に放送される茫々とした映像(宇宙から見た地球や自然や人込みなど)も,あれこれ考えずにぼーっと眺めているのが好きだ.要するに,ぼーっとする時間さえも,与えられなければならない時代に突入している.
posted by トミタ ナオヒデ at 11:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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