富田直秀(Naohide TOMITA)     e-mail: tomita.naohide.5c kyoto-u.ac.jp  ←を半角に変えてください。


Dr.Tomita

プロフィール

富田直秀(Naohide TOMITA)材料工学出身。もと整形外科医。現在は医療工学、デザイン、再生医療、バイオメカニクス、バイオトライボロジーなどの研究をしています。

研究とは切り離しておりますが、学生の頃から少しずつ創りためている文章、絵、写真なども公開しています。興味のある方は右のMENUからお入りください。

E-Mail: tomita.naohide.5c@kyoto-u.ac.jp
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2009年10月31日

Richter も Tyner も賢治も Pires も Gould も、そうしてYAMATOYAのマスターも

 夜の京都をジョギングしたついでに、久しぶりにジャズ喫茶のYAMATOYA に寄った。年に1,2度しか顔を出さないのに、ここのマスターは私がピアノソロを好むのをよく憶えていてくれる。そうしてこの落ち着いた古い店内には、世界のどこかに埋もれてしまった一瞬の音の昂揚や絡み合いやらが、ふと思い出したように今も流れている。あ、いいなあ、と思って流れている曲の名を聞くと、「もうこれは手に入らないと思いますよ」と、さして自慢そうでもなくマスターはレコードのジャケットを渡してくれる。(YAMATOYA は、その保有レコードの豊富さで有名な店です)
 クラシックもジャズも、私はピアノの独奏曲が好きだ。それは佐賀に住んでいた頃、クラシックの名ピアニスト、Svyatoslav Richter の演奏を直に聴いてからだと思う。当時、当代一と言われたRichter の演奏を直に聴くことができた人は世界でもそうはいなかっただろう。やっと演奏会を企画しても、Richter は突然にキャンセルをして、田舎町での演奏を希望したりしたのだという。佐賀での演奏会も、きっとこのような経緯があったのにちがいない。当時医学生だった私は、まだ Richter の名さえ知らなかったが、何かの偶然でたった1枚残っていたピアノの真ん前の座席券を手に入れた。その券の希少価値を知らなかった私は、しかし何か漠然とした予感を感じながら、そのあまりに無防備な席からピアノの前に座る Richter の巨体を見上げていた。第1部では、曲の云々よりも、鍵盤にのしかかるこの巨体がピアノを壊してしまうのではなかろうかと、そればかりが気になっていた。しかし、第2部に演奏されたロシアの民謡が、とにかく圧巻だった。涙も出ない、というのが正直な感想だろうか。わたしは、襲いかかる感情の嵐やら時々通り過ぎる糸のような繊細さに圧倒されてしまって、ちょうど、あの「セロ弾きのゴーシュ」で、眼や額からぱちぱち火花を出した猫や、セロの中で眼をつぶったままぶるぶるふるえていた子ネズミのようであったと思う。ロシア民謡の演奏が終わって、ピアノの前に立ち上がった岩のような大きな顔の中で、目だけは子供のように何かを探していたように見えた。私がクラシックの演奏会を聞き慣れていたのならば、迷わずブラボーを連呼していたのかもしれない。いや、もう数席でも後方の席に座っていたならば,私はその時の感激を何らかの方法で表現していただろう。けれども、目前にそびえ立った Richter は巨大で純真で、そうしてあまりに距離が近すぎた。私は今でも、あの時にただひたすら体を小さく硬くしていたことを後悔している。私のすぐ目の前の頭上で Richter の視線が探していたなにかを、私は知っていたように思う。私の思い込みかもしれないが、あの視線の動きの中に感じた Richter の期待と落胆の影は、最後の曲(ブラームスだったように思う)を美しく正しい「ふつうの」演奏にしてしまった。
 この時のことを思い出したのは、「YAMATOYA」で何曲目かに流れたジャズのピアノソロがあまりに刺激的だったからだ。あの時の Richter の演奏とは全く違っているけれども、とにかく刺激的な演奏だった。体中が傷だらけになるような無計算に満ち満ちた演奏だ。マスターに聞くと McCoy Tyner という人の最近のピアノ独奏演奏らしい。「この曲のCDなら手に入ると思いますよ」とマスターは言う。けれども、私はこれをまた聞こうと思うだろうか。以前にも書いたが、私は(若い頃の)Maria Joao Pires の演奏が大好きで、中でもモーツァルト、ピアノ・ソナタ全集に納められている11番イ短調(トルコ行進曲)は、いつ聞いても心の奥底をやさしく包んでくれる。このMcCoy Tyner のジャズはその全く対極にあるといってもいいのかもしれない。なぜ,こんなに歯を食いしばって音楽を聴かなければならないのだろう、と思う。 Pires が嫌った叩きつけるような音が、最も叩いてはいけないだろうと思われるところにあらわれて私の目を丸くさせる。Chick Corea も、もちろん Keith Jarrett もここまでやんちゃではなかった。しかし、こんな演奏だからこそ、いつかまた聞きたいと羨望することになるのかもしれない。もう一人、私が特別に嫌いだったピアニストは Glenn Gould だった。だった、というのは、あれほど「虫ずが走る」ほどに嫌いだった彼の演奏を、最近ではむしろ好んで聴くようになってしまったからだ。年を経て、私の感性はすり切れてきたのか。もしかすると、いや、おそらく、この McCoy Tyner の棘だらけで予測と期待を裏切り続けるピアノソロも、やがて惚けた私の感性をほどよく底の方から叩いてくれることになるのかもしれない、、。

 などなど、酔った私の頭の中ではまたいらぬ事どもがぐるぐると回り始める。だいたい私の中ではクラシックとジャズどころか、音楽と文学と日常の違いさえごった煮になっているのだ。まあしかし、それでもいいではないか。兎にも角にも、 Richter も Tyner も賢治も Pires も Gould も、そうしてYAMATOYAのマスターも、人生という重い戦場を私の中でともに、今も生きてくれているかけがえのない友人たちだ。想像も現実も、うまい下手も、好きも嫌いもあるものか。久しぶりのYAMATOYAで、少々くせのある、新しい友人に巡り会えたのだ。
 そうそう、ジョギングの途中なのに長居をしてしまった。YAMATOYAの古い硝子戸をギイと開けて、私はまた京都の秋の夜に走り出た。
posted by トミタ ナオヒデ at 11:16| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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