富田直秀(Naohide TOMITA)     e-mail: tomita.naohide.5c kyoto-u.ac.jp  ←を半角に変えてください。


Dr.Tomita

プロフィール

富田直秀(Naohide TOMITA)材料工学出身。もと整形外科医。現在は医療工学、デザイン、再生医療、バイオメカニクス、バイオトライボロジーなどの研究をしています。

研究とは切り離しておりますが、学生の頃から少しずつ創りためている文章、絵、写真なども公開しています。興味のある方は右のMENUからお入りください。

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2009年11月19日

秋野不矩の「うらしまたろう」

 先週末はインフルエンザに罹患してしまったので、研究室で自己隔離をしていた。長い時間を研究室で過ごすのだから、溜まっている論文校正やら報告書作製やら授業準備ばかりしていればいいものを、、何かおもしろいモノはなかったろうか、と引き出しや本棚を物色する。すると、本棚の奥に秋野不矩(あきのふく)の絵本「うらしまたろう」を見つけた。以前、京都で開催された秋野不矩展に行って買ってきたものだ。
 この絵本は、子供の頃の私だったら欲しがらなかっただろうなあ、、、などと思いながらぱらぱらとめくってみる。最近の絵本のように、わくわくしない、どっかーんがない。もぞもぞも、うるうるもない。けれども、この作品のすばらしさに、あらためて身体が震えるような感動をおぼえた。(インフルエンザの熱のせいではありません、、)
 まず見開きの冬の海の絵は、もう何時間見ていても飽きないだろうと思う。雪が舞う荒々しい海。海が緑だ。雪の舞うこの海の底にはいったい何が棲んでいるのだろう。恐ろしく、不思議にやさしい、深い海がどこまでも続いている。大きな波の打ち寄せるすぐ近くで、うらしまたろうがじっとその冬の海を見つめている。「たろうは くるひも くるひも さかなを つっては それを うり としおいた りょうしんを やしなっていた」、それが、うらしまたろうの始まりだ。お話しを読んでいくと、竜宮城で暮らしていた たろうは、この雪が舞い北風が吹き荒れる海を見て、ふるさとが恋しくなり、ヒトの世界にもどってくる。その大切な風景だったことがわかる。
 こんなふうに、この絵本ではまず、様々な海の描写に圧倒される。上記の冬の海だけではない。助けられたかめが「たろうのほうを なんども なんども ふりかえりながら あわだつ なみのなかに きえていった」の場面では、砂浜に白い波が打ち寄せる海辺の様子が、単純な一筆で描かれているにもかかわらず、きらきらといつまでも輝いている。そうして、さらにすばらしいのが、うらしまたろうの身体の描写だ。ゆらゆらと単純に描かれた身体の線に、うらしまたろうの純朴なやさしさ、所在の無さ、時にたくましさ、そうして貧しさと美しさが見事に表現されている。
 秋野不矩は、かめになりおとひめになって、うらしまに恋いこがれたのではなかろうか。「ふしぎな ひかりに つつまれた りゅうぐう」に見とれているうらしまたろうの細い腰に、そっと優しく添えられているおとひめの手は、これは秋野不矩の手に違いない。それから、亀をいじめる子供たちの手足のたどたどしさ、かわいさと残酷さ、竜宮城で踊る踊り子の腕と柱の造形、変わり果てたふるさとを見て呆然としているたろうの身体の表情、そうして、玉手箱を開けたたろうの突然の老いのかたち。それらがみな、一見たよりない細い線や薄い色で表されていて、じんと心にしみてくる。
 「うらしまたろう」とは、こんなにきれいで哀しい物語だったのだ、とこの絵本は改めて気づかせてくれる。それはおそらく、作者、時田史郎と、画家、秋野不矩の心が、やはりきれいで哀しいからなのだろう。

posted by トミタ ナオヒデ at 11:02| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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