富田直秀(Naohide TOMITA)     e-mail: tomita.naohide.5c kyoto-u.ac.jp  ←を半角に変えてください。


Dr.Tomita

プロフィール

富田直秀(Naohide TOMITA)材料工学出身。もと整形外科医。現在は医療工学、デザイン、再生医療、バイオメカニクス、バイオトライボロジーなどの研究をしています。

研究とは切り離しておりますが、学生の頃から少しずつ創りためている文章、絵、写真なども公開しています。興味のある方は右のMENUからお入りください。

E-Mail: tomita.naohide.5c@kyoto-u.ac.jp
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2012年06月09日

吉本隆明・ばなな親子

  5月26日のブログ「秀吉嫌い : 年寄にはアーティストとしての役割がある」で吉本隆明氏の芸術論を取り上げたが,実を言うとこの人の本を読みはじめたのは,まだつい最近のことだ.作家の吉本ばななさんのお父上なのだという.ばななさんには,一度,拙書「ちゃっちゃんの遊園地」の評やらをブログに書いていただいたことがある,私の好きな作家の1人だ.
  まだ2,3冊を読んだだけで感想を述べるのはあさはかなのだが,この吉本隆明という人はなんとも徹底的に自分に正直な人だと思う.芸術論に関してこの人ほど明快な表現を見たことがない.芸術には徹底的な正直さが求められている(と私は思っている)ので,この分野に関してはこの人を手放しで信頼する.ただし政治の世界では,正直であることが必ずしも良くはない場合もある(と私は思っている)ので,政治に関するこの人の言にはやや首をかしげるところもある.要するに吉本隆明氏は,その超人的な読書量と論理性を抜かせば,きわめて庶民的で素直な人なのだろう.下町のちょっと気が強くて人の良いオッサンが「いいねえ」「ぐっとくるねえ」「てやんでい」「べらぼうよ」を言うかわりに,そこに至る膨大な指向と感性を,並はずれた知性と表現力と,素直さで説いている.その正否はともかく,この人の生き方に強いあこがれを感じる.
  さて,吉本隆明氏の本を読んでから娘の吉本ばななさんの小説を読み返すと,やはりばななさんも徹底的に自分に正直なのだが,その正直であることの苦悩とすがすがしさも見えてくる.あふれ出てくる言葉の底には,そのエネルギー源としての苦悩があるのだろうが,吉本隆明氏はそれをまったく見せずに読者を引っ張っていく文章の技巧がある.ばななさんの文章では,間欠泉のように吹き上がる言葉と,その合間の静寂とが,逆に苦悩と開放のすがすがしさを浮き彫りにしている.評論と小説,男性と女性,戦中派と現代人,親と子,,様々な違いはあるのだろうけれども,二人の文章に共通して感じる印象は「静寂」である.下町の夕暮れの軒先で将棋を指しながら「いいねえ」「ぐっとくるねえ」「てやんでい」「べらぼうよ」と世間話をしている父親と,傍らで線香花火をしたり地面に絵を描いたりして遊んでいる少女の姿が目に浮かぶ.二人ともとにかくよくしゃべってはいるのだが,そのしゃべっている言葉が直接に意味している内容よりも,下町の,夕暮れの,軒先の,そこに流れる涼しい風や,言葉に表されない悲哀やすがすがしさを,お二人とも大切にしているようだ.本人たちは否定するだろうが,日本の美しさを無意識に表現としているように私は感じる.たまたま海外への長い出張から帰ってきたばかりなので,そう感じてしまうのかもしれない.ただ,これだけ大量の文章の中に,強いことや賢いことをうらやんだり求めたりする表現はほとんど出てこない.強いことよりも,賢いことよりも,ただひたすらに自分に正直である事を最上に考えるところに日本の美しさがあるように,私は(自己満足的に)感じているので,このお二人にも日本人の美しさを(自己満足的に)感じてしまう.

(蛇足なのだが,読む人にそれぞれの自己満足を感じさせるのが,このお二人の文章の技巧,または特徴なのだろう.隆明,ばなな親子がこの文章を見たならば,,あれあれ,またこんふうに暴走する人が,,と苦笑いをするのかもしれない.)




posted by トミタ ナオヒデ at 10:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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