富田直秀(Naohide TOMITA)     e-mail: tomita.naohide.5c kyoto-u.ac.jp  ←を半角に変えてください。


Dr.Tomita

プロフィール

富田直秀(Naohide TOMITA)材料工学出身。もと整形外科医。現在は医療工学、デザイン、再生医療、バイオメカニクス、バイオトライボロジーなどの研究をしています。

研究とは切り離しておりますが、学生の頃から少しずつ創りためている文章、絵、写真なども公開しています。興味のある方は右のMENUからお入りください。

E-Mail: tomita.naohide.5c@kyoto-u.ac.jp
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2012年09月03日

(新)秀吉嫌い : 年寄にはアーティストとしての役割がある

5月26日のブログ「秀吉嫌い : 年寄にはアーティストとしての役割がある」
の内容を書き直しているうちに,絵画に関する感想が消えてしまったので,消えた文章の周囲をもとの場所に残して,(新)秀吉嫌い,,をここに載せます.



秀吉嫌い : 年寄にはアーティストとしての役割がある
富田 直秀

  私の名前(直秀)の秀の字は,岐阜県生まれの両親が豊臣秀吉にあやかろうとしてつけた名前らしい.両親には申し訳ないのだが,,私は秀吉が嫌いだ.
  私も若いころには,人を尊敬し人生に目標を設定して突き進む秀吉の一途さにあこがれた時期があった.しかし,これは歴史的事実よりも「太閤記」の物語性に強く引きずられて形成された秀吉像であるし,たとえ若いころの秀吉がそうであったとしても,天下人となった後の秀吉はどうだろうか.朝鮮出兵にまつわる一連の言動だけを挙げても,秀吉の晩年には決してあやかりたくないと思う.天下を取ってからの秀吉の一連の醜態は,歳をとることによる“もうろく”として,または自己中心的となり客観的な判断力を失った結果として,表現される場合が多い.
  しかし,晩年の秀吉は「私」に固執したのではなく,むしろ「私」を粗末にした結果として周囲とのつながりを失ったのではないだろうか.私の好きなデザイン・アートの視点からみると,目標を達成するために客観的・合理的な方法を選択するデザイナーとしての生き方にこだわりすぎて,アーティストとしての「私」を見失ったのだと,私は解釈している.秀吉がその晩年にアーティストとしての「私」を見失ってしまったことの重大性は,彼一人の問題ではない.人生のデザイナーとして成功を収め,この国の様々な分野で実権を握る何人かは,秀吉のようにアーティストとしての「私」を見失って,今もなお黄金の茶室を作り続けているからだ.
  私の考えるアートとは,それを人の役に立てたり,アートで何かを人に伝えようとするのではなく,あくまで自分のためにあるものだと思う.もちろん,結果としてアートは立派に世の中の役に立っているし,また,結果として大切な何かを伝えている.けれども,だからといって役に立つためにアート活動をするのも,何かを伝えるためにアート活動をするのも的外れであって,アートとはとことん孤独であるところに基礎があるのだと思う.吉本隆明氏は,良い文学作品というのは,そこに表現されている心の動きや人間関係というのが,自分にしかわからない,と読者に思わせる,そんな作品だと述べている.文学作品に限らないだろう,たとえば先日,福田平八郎の絵を見ると,以前に見たときとは全く違った表情がそこに見えている.福田平八郎の絵に描かれている波やら鯉やら葉っぱの表現は,平八郎独特の世界観なのだと以前は考えていたけれども,平八郎の絵の中に見えていた表情,そうして今の私が同じ絵の中に見ている別の表情は,実は私の中に育ち,変化しつつある私の「絵」の表情なのだ.吉本隆明氏が文学作品に対して述べたことと同じように,絵画でも,見る者に,自分にしか見えていない「絵」だ,とそれぞれに感じさせるのがいい作品なのではないだろうか.また,「能」の舞が徹底的に表現を削って,その一見単純な動きの中に見る者の現実とも幻想ともつかない世界を映してみせるのと同じように,日本の芸術の多くは,ほとんど空(くう)に近くなるまで表現の引き算を重ねていって,中身が空となった器の中に見る者の世界を映してみせる.芸術表現とは,共通のコードを使ってAからBへ意味を伝えるコミュニケーションとしてではなく,吉本氏の言うように,AはAにしかわからない表現をして,BもBにしかわからない見方をして,両者が偶然に出会うことによって生まれるものなのだろう.氏はこのことを「自己表出と自己表出の出会い」と表現している.また,村上華岳が「画論」の中で「制作は密室の祈り」であると述べた,その徹底的な孤独と締念の中での出会いの存在が,デザインとアートとの間に太い線引きをしているように思う.
まあ,そういったややこしいことはどうでも良いのだが,とにかく,歳をとるにしたがって,道を歩いていて傍らの植物を見ても,空を見上げても,私の周りの世界はどこか物語を含んでいて以前よりも潤ってきているように思う.なにも絵を描いたり音楽を奏でたりするばかりがアートなのではない.私の考えるアートでは,作品さえも必要ない.たとえば,人の顔だけではなく身体や花や木々や様々なものに表情や物語を感じたならば,それもかけがえのないその人のアートだ.そうしてそういったアートは,習ったり勉強したりするのではなく,様々な出会いが私の中に蓄積,,いや,様々な出会いが「私」そのものを構築し続けて成立するのだろう.強い感動の中に自己を発見する若い感性もそれなりに良いが,老いぼれて,独立した個としての機転と機能を失いつつある中でこそ見えてくる静かな「私」像は,周囲との境界さえあやふやである「私」象は,これもなかなか捨てたものではない.
  もちろん,デザイナーもアートの心を持つし,アーティストもデザイナーのスキルをもつ.どちらか一方だけの人間はいない.若い頃には,他者と明確に区別された自己とその目標を見定めて,客観的かつ合理的に目標に向かって突き進むデザイナーのスキルが必要かもしれない.そうして,歳をとってからは,たとえそれがはっきりとした実体を持たなくとも,たとえ人に伝わらなくとも,またたとえ時の為政者に切腹を申しつけられようが,「私」をみつめることのできるアートの生き方を基礎として持っていたいと思う.デザイナーの作る「実」とは器のようであって,その器にそれぞれのアーティストとしての「私」が注ぎ込まれることによって「質」が育つのだろう.われわれの若いころは,がむしゃらに実体としての「器」を作り続けていた.それでも,そこに自然と「私」が注ぎ込まれるようなアートの土壌が社会に用意されていたように思う.老いぼれて,独立した個としての機転と機能を失い,時には呆けてしまっていた年寄りたちが,実はアーティストとしてこの土壌を育てていたのではあるまいか.歴史のようにしっかりとした物語の上に存在している年寄りたちの自我は,たとえ周囲との境界さえあやふやな「私」であったとしても,社会のなかでしっかりとその役割を果たしていた.
もちろん,歳をとってからでも周囲からの要請があるならば人生のデザイン力を発揮して人の役に立つ仕事をしなければならない.ただ,いかに巧妙に器がデザインされても,それぞれがアーティストとしての「私」を持ってその器にかかわることのできるしくみが社会になければ,それは自慢のためだけの空っぽの器であって本当に人の役に立つことはない.グローバル社会の中では孤独なアーティストたちの物語が忘れ去られて,デザインを生かすアートの土壌が崩れようとしているのではないか.その一方で,人生のデザイナーとして成功を収め,この国の様々な分野で実権を握る賢人の何人かは,秀吉のようにアーティストの心を見失い,自慢話のリズムに乗って現代の黄金の茶室を作り続けようとしているのではあるまいか.

posted by トミタ ナオヒデ at 11:18 | TrackBack(0) | 論文調の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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