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Dr.Tomita

プロフィール

富田直秀(Naohide TOMITA)材料工学出身。もと整形外科医。現在は医療工学、デザイン、再生医療、バイオメカニクス、バイオトライボロジーなどの研究をしています。

研究とは切り離しておりますが、学生の頃から少しずつ創りためている文章、絵、写真なども公開しています。興味のある方は右のMENUからお入りください。

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2012年09月05日

政治家毛嫌い

政治家毛嫌い
                            富田 直秀

  好きと言っておきながら結局嫌いであったり,嫌いと言っても好きなところもあるのならば,いっそのこと好きを嫌い,嫌いを好きと言い換えても同じことだろう,と自身のブログの「好き嫌いシリーズ」を読み返してみて思う.しかし,「政治家」だけはどう逆さまにひっくり返して見ても,好き,とは言えない.これは主義でも主張でもない.政治家のずるさが嫌なのか,うそつきが憎いのか,女性にもてるのが悔しいのか,世のため人のため面(ずら)が気持ち悪いのかかよくはわからないが,とにかく,ひたすら気色が悪い.たとえば,ムカデが実は貴重な益虫であったとしても,たとえこれが地球を救うイキモノであったのだとしても,決してムカデを好きとは言えないであろうことによく似ている.
  気色が悪いのは政治家であって政治そのものではないのだが,その巣窟である政治にも極力近づかず,政治的な発言も厳に慎む生活を高校生時代からつい今しがたまで続けてきた.国のまつりごとのみならず,学会,教室,あらゆる場面で政治臭を感じるところに私は近づかない,いや,政治に付き合っていくだけの記憶力やら注意深さといった能力に欠けているのだから,もともと近づくことができない.私の思春期のころは右とか左とかの色メガネをかけた子ども政治家が身近にいて,それぞれのメガネにかなった人を自身の巣に引き込もうとしていた(と,私にはそう見えていた).私も,もちろん私なりの色メガネをかけているのだが,私のメガネに映るのは,右やら左やらの区別なく彼らの背中にうごめいていた何本もの脚だった.私は,当時,無気力の象徴とされていた「ノンポリ」という種に(今は当たり前に主張できるが,当時としては珍しく)積極的に属そうと努力をしていた.
  しかし,私の「ノンポリ」への積極性を危うくさせる状況が1988年にあった.昭和天皇の病気平癒を願う記帳所が全国に設けられ,奈良県の橿原で研修医をしていた私の周囲では,忙しい時間をやりくりして多くの友人たちが記帳に行った.この時,ノンポリという選択は許されず,記帳すれば右,記帳しなければ左,という暗黙の選択がつきつけられた(ように私には思えた).結局のところ,私は記帳には行かなかった.私は(おそらく,これが私の生れて初めての政治的発言だが),賢いことよりも強いことよりも「ずるくない」ことを上位に置く文化としての象徴天皇制を尊重する.グローバル社会の中で日本が日本の「質」を主張するならば,「ずるくない」文化とそのよりどころはこれからも重要になってくるだろうと予想している.1988年当時にはそこまではっきりとした意識を持っていいたわけではなかったが,政治を離れて昭和天皇ご自身への好感はあったので,もし無記名の行動であれば私もそれに参加したのだろうと思う.私の行動を決定づけたのは,当時研修医仲間であったある友人の「記帳しなければ,将来に不利益になるかもしれないだろう」という一言だった.この友人に反感を覚えたのではない.この友人に賛同する自分の背中にうごめく多数の脚を感じたのが,記帳をしなかった一番の理由だったろうと思う.カフカの「変身」の中で朝起きると巨大な虫に変身していたグレーゴルの焦燥が,まさにこの時の私の感覚に近いのではないだろうか.自分の毛嫌いする対象が実は自分自身であったことへの焦燥をかかえて,結局私は記帳をしなかったが,逆に記帳したとしても,もちろんこの焦燥は収まりはしなかった.
  個人の利益や集団の利益,正義感,名誉欲,,,様々な脚を統一的に動かしてこれを思想と呼ぶことの気色悪さは,たとえこれが役に立つのだとしても,人類生存のための切り札なのだとしても好きにはなれない.すでに右や左といった時代ではないが,ずるくない象徴を利用しようとするずるさがあるかぎり右派のそれは思想ではなく,また,言葉や「モノ」に固定化された目的に振り回されている限り左派のそれも思想ではない.思想とは,ただ多くの足を動かしてもぞもぞと餌をあさったり敵を刺したりすることではなく,悪循環を良循環に変えていく理性の美しさのようなものを内包しているのだと思う.
  実を言うと,私がなぜこんな昔のことをわざわざブログに書いているのか,と自分に問うてみれば,かつて強く感じていた政治家への気色悪さがどうも最近薄れてきているように感じるのである.今では,右や左の色メガネをかけた友人たちの背中にも,そうして自分自身の背中にもうごめく脚を見ることはめったになくなってしまった.グロテスクであった政治色が,一見ファッションのように淡くなってきているように私の目には見えているのだが,,もしかすると,いや,おそらく,いつのまにか私自身がすでに不気味なムカデの目で世間を見ているのに気づいていないだけなのだろう.
  右や左といった区別が曖昧となった現在では,個人や集団の利益,正義,欲などを統一的に動かして思想とは呼ばない.しいて言えば,ただ都合の良いことを言って人気を集めるポピュリズムがこれに代わって大いに毒を吐いているのだが,,私を含めて多くの人がこの気色悪さを見分けられなくなっているように思う.子ども政治家たちの言動は好きではなかったが,わかりやすく,少なくとも純粋だった.皆がムカデの目を持ってしまった現代は,何かとてつもなく大きな間違いに向かって進んでいるようだが,恐ろしいことには,誰もこの危機を見ることができない.


(PS:「言葉に固定化された目的に振り回される」とは,たとえば,貧困→教育↓→貧困,貧困→人口増加→貧困,といった悪循環があるときに,対峙すべき本の対象は悪循環であるが,時として貧困という言葉に目的が固定化されてしまう.貧困が悪く,裕福さが良い,のではなく,悪循環からの脱出が目標となるべきだろうと思う)
posted by トミタ ナオヒデ at 08:56 | TrackBack(0) | 論文調の独り言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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