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Dr.Tomita

プロフィール

富田直秀(Naohide TOMITA)材料工学出身。もと整形外科医。現在は医療工学、デザイン、再生医療、バイオメカニクス、バイオトライボロジーなどの研究をしています。

研究とは切り離しておりますが、学生の頃から少しずつ創りためている文章、絵、写真なども公開しています。興味のある方は右のMENUからお入りください。

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2008年02月02日

医療技術と誠実さの指標

 あるインターネットの会議室で、「医療技術と誠実さ」に関して議論をしている。
 医療現場や治療技術開発現場では、誠実であろうとすることと正しい治療や治療法開発を行うこととの間に微妙な開きがある。たとえば、重症の病気に対するある治療が100人のうち98人を助けても、2人を死に至らせてしまうとする。この治療が正しい治療法として認められるためには様々な客観的な指標から論議がされ、被害を被った2%の方をどう救済するかという視点も提示されなければならない。しかし、もちろんのこと失われた命や時間を償うことはできない。いかにこの技術が有用であったとしても、亡くなられたお二人からすれば悪魔の技術であるにちがいない。このお二人に対して誠意的であろうとすれば、この時点で決して実用化すべき技術ではなく、一方ではこの時点の技術で助けられるであろう98人に対しては不誠実になってしまうのかもしれない。
 私は研究者として、あくまで客観的な指標を重視しなければならない立場にあるが、一方では、客観的な指標だけではどうしても乗り越えることのできない医療の現実も知っている。たとえば、最善を尽くすといっても、世の中にあるすべての知識を知ることは不可能であるし、たとえ知ることができたとしてもデータから予測できる安全性は現実には非常に限られている場合が多い。有害事象が生じてしまった場合に、表向きは「予測できたか否か」という客観的な判断が問われるけれども、事実上は「いかに誠実に対処したか」という主観的な判断が問題となってくる。医療の中には進んでも、また引き返しても大きな罪を生んでしまう状況が数多くある。人の生死や心を相手にする仕事、というのは不可避にそういう性質を持っている。論理はともかく、その現場ではどうしても「何が誠実なのか」といった文化の指標が必要になる。
 欧米社会には漠然とした誠実さの客観的指標があるのかもしれない。たとえば陪審員制度では、無作為に選ばれた人たちの主観的判断が「誠実さ」の指標になる場合がある。また、宗教もこの「誠実」の指標となっているのかもしれない。おそらく日本には欧米文化ほどに実体化された誠実さの指標はないのだろう。「世間」と呼ばれる日本の良識の指標は、マスコミや風評にいつも流されているようにみえる。また、権威と呼ばれるセンセイがテレビなどで主観を述べると、またそれも「世間」を大きく揺り動かす。
 多数決や宗教意識を指標とする西欧に比べると、「世間」といういわば自己組織的な日本の誠意指標の方が自然に近いのかもしれない。私個人の感覚では、西洋型はどこか人工的でわざとらしい誠意であるように感じてしまう。西洋型と日本型、どちらが良いのかは一概に判断することはできないだろう。ただ、日本の場合には個人個人の関係性の中に自然に誠実さが生まれてくるのが当たり前である文化基盤があって、その上で「世間」の良識が機能する。西欧的に言えば、性善説化か、、しかし、この「誠実さが当たり前である」点、今の日本はどうであろうか、、。
posted by トミタ ナオヒデ at 20:59| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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